“失われた30年”を強固にした「デフレ均衡」
本来デフレは均衡しない。デフレとは資本が増殖を求めて価値形態が変態をすることを止め、貨幣のままでとどまることを強制するものである。よって必然的に大恐慌などのように経済収縮のスパイラルをもたらす、との考えが2000年頃までの経済学の常識であった。
しかし日本では、「デフレ均衡」というデフレ下での強固な経済安定が長らく定着した。
デフレ下でもマイルドな実質成長はあり、国民生活の破局は免れた。また日本では欧米のような成長に基づく格差拡大、中間層の落ちこぼれによる社会分断、ポピュリズムの台頭などの現象は顕著にはなっていない。
そうしたことから成長を追求しなくてもよいではないか、という「下山の思想」「脱成長の定常社会」など、停滞肯定思想も蔓延してきた (注) 。
(注) より正確に述べれば、GDPデフレーターは1998~2013年までは低下し続けたが、以降は上昇に転じており、厳密には2013年以降は「デフレ均衡」状態とはいえない。しかし2013年以降も、名目経済成長ほぼゼロ、消費税増税の影響を除けば、CPIもゼロ、金利もゼロ、という均衡状態が続いた。当記事では2013年以降も含めて続いた「ゼロ・ゼロ・ゼロの均衡状態」を「デフレ均衡」と概括している。
「名目成長ゼロ・金利ゼロ・インフレゼロ」が長年定着
この日本に定着した、名目成長ゼロ・物価上昇率ゼロ・金利ゼロの頑強な安定が、「デフレ均衡」の実態である、と考えられる。
それにしても、世界全体が急速な技術発展とともに成長するなかで、なぜ日本だけ中世の農耕社会のような停滞が強固に長く続いたのであろうか。
日本においても2000年以降の世界成長をけん引したデジタルネット革命は浸透し、労働生産性ははっきりと上昇していた。またグローバリゼーションにより、海外の低賃金労働の活用という所得の源泉も欧米同様に存在していた。
そうした時代背景のなかで、なぜ日本にだけかくも強固な停滞の状況が続いたのだろうか。
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