頻繁には帰れないものの…周囲の助けで家の状態を維持
父の死から4年後の2007年11月、母が亡くなりました。父が死んだときは、まだ母も兄もいましたから悲しみを分け合うことができた。でも母が逝ってしまうと、もう兄しかいません。二親を亡くした悲しみは大きく、とてもつらいものでした。
仕事ではいつものように元気いっぱいに振る舞っていましたが、「私ってこんな人だっけ?」と自分でも驚くほどの打ちひしがれようで、それから3年ほどは、両親がこの世にもういないという事実になかなか向き合えませんでした。
実家には両親の遺品がそのままになっていました。ですが、掃除や換気にたまに帰ってもとても片づける気になれず、その後もほとんど手がつけられませんでした。
ともあれ、母が亡くなり、遺言通り実家は、私が相続しました。ですが、私は頻繁には高松に帰れません。
そこでお世話になったのが、お向かいさんや近くに住む親戚でした。お向かいさんには郵便受けにたまった郵便物を2~3カ月に1回まとめて送ってもらい、親戚にはたまに実家に寄って、窓を開けて風を通し、掃除をしてもらいました。
実家の状態を良好に保てたのは、そんなみなさんの支えがあったからこそ。私1人ではとても無理でした。いまでも深く感謝しています。
震災を機にリフォームしたが…「遠すぎる」という現実
2011年3月11日、マグニチュード9.0、最大震度7の巨大地震が発生しました。津波被害に原発事故......。未曾有の被害を出した東日本大震災です。母が亡くなって3年余り。やっと母の死を乗り越えられた頃に起きた惨事でした。
あのときは本当に恐ろしかった。改めて自然災害の怖さを思い知らされると同時に、もし東京に大きな地震でも来て住めなくなったらどうすればいいんだろうと、とても不安になりました。
そのとき頭に浮かんだのは、空き家のままになっている高松の実家でした。
そうだ、あの家がある。あそこをもしものときの避難場所にしよう……。
いざというときすぐに住めるようにリフォームを行なうことにしました。台所、洗面所、お風呂場、トイレの水回りを全面改修したほか、温水や暖房使用時に使っていたボイラーを撤去して電気温水器とエアコンを設置しました。
台所や一部の和室の床をフローリングに張り替え、カーテンも全室取り替えました。家族が生活するための最低限のリフォームのつもりでしたが、結局、350万円もかかってしまいました。 痛い出費でした。
痛いと言えばもう1つ。このリフォームを通じて大変なことに気づいてしまいました。業者さんとの打ち合わせなどで何度も実家へ足を運んだのですが、とにかく体力的にキツイのです。
40代も半ばになっていた私にとって高松は遠すぎました。それからは、換気や掃除のために実家へ帰るのも、東京から行くのは大変なので、関西で仕事があって翌日がオフのときをなるべく利用するようにしました。
とにかく遠くて大変。体力的にもキツイので、せっかく大金を費やしてリフォームしたのに、結局、実家に家族で寝泊まりすることは、ほとんどありませんでした。
松本 明子
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