体調を崩し1ヵ月の休養へ…
■「俺の人生はもうおしまい」
悪循環に苛まれ、いつしか何をしていても頭の中でいつも「死にたい」という言葉が浮かんでくるようになりました。
歩道橋を歩けば「ここから飛び降りたら死ねるかな」とか、車の運転中も「このまま事故れば仕事に行かなくて済むな」とか、そんなことばっかり考える毎日でした。
挙句の果てに…、「誰にも迷惑をかけたくない。そのための方法は僕がいなくなることしかない」と、心療内科でもらった処方薬をあるだけ口に放り込みました。
しかし、目を開けた時には、痛みや悲しみのない極楽浄土ではなく、生々しい現実が広がっていたのです。
…ピンポーン!ピンポーン!!
聞き覚えのある音が、脳にズキンと響き、僕は目を覚ましました。
「ああ、この音はなんだったかな?」と、鉛のような体をズルズルと引きずり、起き上がると、そこには見たこともない顔をしている店長の姿が…。
出勤時間をすぎても、電話に出ない僕を心配して家まで様子を見にきてくれたのです。
そのおかげ(?)で、僕はすぐに病院へ搬送。当時は幸か不幸かわからなかったものの、命に別状はなく、1ヵ月の休養で復帰できました。
■店長の一言で意識改革
騒動後、休養を経て出社すると……「すまん、オレも度が過ぎたよ」と店長から声をかけられ、仕事量にも配慮してくれたのです。
あわせて店長はこんな言葉をかけてくれました。
「とりあえず、ひとつでいいから、何か『これならできる』というものを持てばいい」
その言葉を聞いて僕はハッとしました。
人間誰しもが完璧ではない。だからこそ、自分の得意な分野・苦手な分野に気づき、苦手な分野は助けてもらう。その代わり、得意な分野に精一杯力を入れてもいいのかもしれない。
店長の言葉で意識革命が起こりました。
その甲斐あって、仕事がデキないなりに、なんとか店長代理試験に合格!
しかしこれで「めでたしめでたし」というわけではありませんでした。良い兆しが見えてくる頃には、配属店舗の変更が待ち構えています。
店舗ごとにルールも人間関係も違えば、店長の方針も違うので、スキルを積んでも配属店舗が変われば、店舗独特のルールに適応し直す必要があります。もちろん対人関係もゼロからのスタート。
コミュニケーション下手で適応力が低い僕は、「また明日も怒鳴られるのか」「また1からこういう日々が続くのか」と、またしてもメンタル崩壊してしまったのです。
最後は布団から起き上がれなくなり、病院に行くと、言われた病名は「適応障害」…。ネーミングが自分にぴったりすぎてもはや笑いました。
すでにこの2年間で2回も休職するという負の実績を持った僕が、この会社で輝く未来はないと思いました。
2年間という短い間でしたが、生まれてはじめて自分の弱点を認識した環境でもある会社を、僕は退職しました。