40社連続落ちを経験し、大手企業に就職したが…
■コンプレックスまみれだった過去
僕は学生時代から自己嫌悪感やコンプレックスを抱えながら、常に愚痴や弱音ばかり吐き、常に「隣の芝生は青い」で周りのうまくいっている友達を羨んでばかりでした。
部活はテニス部でしたがプレッシャーに弱く、「練習のときは強いのに、本番になるとザコ」という理由から、「練習マスター」と呼ばれていました。
対人コンプレックスもひどく、人と話すのが苦手でした。
中学時代に顔一面にニキビができていて、高校時代になると、ニキビが顔全体に広がって真っ赤になるという現象が起こり、顔の劣化に歯止めがかからなくなってしまいました。顔を見られたくないから人と話すのがイヤだったのです。
いうまでもなくですがまったくモテず、学生時代の思い出は基本、色褪せています。
大学入試では見事に箸にも棒にもかからず浪人生活へ。1浪の末、国公立大学に進学したものの、就活では「40社連続落ち」を経験してしまいます。
時代は就職氷河期ではあったものの、国公立大学だったので、一流企業から内定をもらっている人もたくさんいました。その中でなぜ僕が40社連続落ちをしていたのか?
要因は不景気な社会のせいではありません。紛れもなくただのコミュニケーション下手と、本番に弱い性格によるものです…。面接でもろくに受け答えができず、おどおどと挙動不審を炸裂していました。
その課題に対して、見て見ぬふりをしながら、まるで単純作業のように就活に挑んだ結果、40社連続落ちを記録してしまったというわけです。
しかし、神様の思し召しなのか、41社目となる企業から内定をゲットできました。
誰でも知っている大手企業だったので「こんな僕が内定をもらえるなんて!」と喜んだのも束の間…。ここから僕のポンコツ社会人生活がスタートします。
■ポンコツさが浮き彫りとなる社会人生活
その会社は誰でも知っている大手企業。入社から8年くらいは、全国の店舗に配属されて、現場経験を積むというのが定石となっていました。
僕はあらゆる現場に配属されながら、各地で自分のポンコツぶりを見せつけることになります…。
最初に配属になったのは来店数が異常に多い店舗でした。休憩を取れないどころか、閉店後も商品陳列に追われ、やっと退勤したあとも、事務処理は家やファミレスに持ち帰る日々。不器用だから、うまく仕事を回せないのです。
持ち帰った仕事を徹夜してこなしても、たまの休みの日には、会社から1日3回も4回も追及の電話がかかってくるほどのヘッポコさで、どんどん悪循環の沼にハマっていきました。
「忙しさ×己の不器用さ」で、毎日店長に怒鳴られるほど、壊滅的に仕事ができませんでした。
どんなふうにできないかというと、「これ、20個入れておいて」といわれた商品を19個しか入っていないとか、レジを閉めるのも、微妙にお金の計算をミスったりとか、店頭に出すPOP(商品の値段や宣伝文を書いたボード)を間違えたりとか。とにかく単純ミスを連発してしまうのです。
店長は悪い人じゃないんですが、熱血指導型(正直に書くと、普通に怖かった…)。他のスタッフにもよく注意していたけれど、その中でも、僕はダントツで注意される回数が多く、常にビビりまくっていました。
失敗したくない、怒られたくないとビビりすぎては、またミスを連発するという無限ループに突入し、果てしなく落ち込んでいました。
もちろん店長も「お客様にいい商品を提供する」「中村を成長させて店長に引き上げる」という視点で、僕を指導してくれていました。僕もその理念を理解してはいたのですが…。
だからこそ、自分の一挙一動で「周りへ迷惑をかけたり、叱られたりしたらどうしよう」という悩みが頭の中でいっぱいになり、気がつけば、うつ状態に陥ってしまいました。