高齢化が進めば総合診療型医療が必要
私が医者になった1985年には10.3%に過ぎなかった高齢化率は、2020年には28.9%になりました。この間に、高齢化社会(人口の7~14%が高齢者)が高齢社会(人口の14~21%が高齢者)を飛び越えて、超高齢社会にまでなったのです。
こうした話をなぜ紹介したかというと、私は、その背景に東大医学部の存在があると睨にらんでいるからです。
専門分化型の医療から総合診療型の医療への移行の方向性は打ち出されているし、いくつかの大学医学部で総合診療科というものができているのですが、現実にはそのような改革はほとんど進んでいません。彼らの扱いは、専門科と対等というより、専門科のワンノブゼムの扱いなので、圧倒的に主流は専門科であることは変わっていません。
スーパーローテートは始まったのですが、これもいくつかの専門科の研修ができるというだけで、体全体を診て優先順位をつけるというトレーニングには程遠いものです。
老年科とか、老年内科などが20近い大学病院でできたのですが、実情は他の内科の教授選で落ちたような人が教授になることが多く、老年医療の実績がほとんどなかったり、専門科が偏っていたりすることが多いのが実情です。
そのトップランナーというべき東大の老人科(現・老年病科)では、歴代の教授が過剰な接待で週刊誌に実名報道されたり、息子の不祥事が20歳を過ぎているのに実名報道されなかったり(製薬会社からの圧力があったと私は推測しています)で、製薬会社べったりの人が歴任してきたため、高齢者の薬を減らす研究はほとんどしてきませんでした。
ただ、東大の老年病科が頑張ったところで、東大医学部の趨勢が変わらないのも事実で、東大の各医局の教授は、自分たちの専門科の学会のボスであることが多く、専門分化を志向する傾向がとても強いのです。
つまり、東大医学部が抵抗勢力になっているので、高齢化が進んでも、日本の医療が総合診療型に向かっていかないと私は考えています。それが高コストで、かつ人々の寿命にいい影響を与えていないことは、地域医療の盛んな長野県が、一人当たりの老人医療費が日本で最も安い県の一つなのに、平均寿命はずっとトップクラスで推移していることからも十分推測可能なのに、です。
あと一つ、浴風会病院で学んだことがあるとすれば、出来の悪い学生や不真面目な学生でも、師が立派ならかなりまともな医者になれるということです。
私の場合は、竹中星郎先生という老年精神医学の父のような先生のもとで学ぶことができたおかげで、老年精神医学の世界の臨床でなら、そうそう負けることがないと自負しています。つい最近お亡くなりになったのですが、その遺志が継げるよう精進を重ねるつもりです。
その後も、アメリカの精神医学校で勉強したり、土居健郎先生の精神分析の治療を受けたりなどできたため、精神療法でもあまり負ける気がしません。
アメリカに留学したときつくづく思ったのは、受験勉強でしっかり勉強していたせいか、毎週300ページもの英文を読む宿題を出されても苦にならなかったことです。つまり、受験勉強が得意な人間が東大理Ⅲに入ることがまずいのでなく、その後の指導がなっていないから、研究も臨床もパッとしないというのは、このような私の体験から実感したことなのです。
本来は医局のようなヒエラルキーのシステムは前時代的なものなのですが、この傾向はさらに強まる気がしています。
和田秀樹
和田秀樹こころと体のクリニック院長