東大医学部生がどんどんおとなしくなっているといいます。かつて東大医学部は学生運動の中心地とも言えるところでした。ところが今では、いくら教授が不祥事を行っても、まったく学生運動につながりません。出身医師の危機意識とは。精神科医の和田秀樹氏が『東大医学部』(ブックマン社)で明らかにします。

東大医学部では才能が飼い殺しにされる

私は長年、受験産業にも身を置いているので、東大理Ⅲに入るためには、学校の言いなりだけではダメで、特別な数学などの才能を持った子でない限り、なんらかの勉強法の工夫が必要だということがわかっています(それがないのに、6年間の勉強漬けで理科Ⅲ類に入れてしまう鉄緑会のような塾の存在は残念だと思いますが)。

 

少子化やゆとり教育以降の公教育の骨抜き化で競争相手が減っているため、東大に入る学生のレベルはかなり下がっているでしょうし、東アジアのライバル校の生徒より学力が低いという話もあります。そのなかで理科Ⅲ類に入る子は特別な能力を持った青年なのですから、大切に育てる必要があると思っています。

 

幸い、彼らは知的な能力が高いだけでなく、競争が好きという特性があります。

 

その競争が、お金を生むとか、すごい研究をするとかいう形の結果で勝負ができるものなら、日本のために大きなメリットになるはずですが、上に気に入られるほど出世競争で勝てるということになると、能力が十分発揮できません。だから、理科Ⅲ類に入った人間が別の世界で競争できる選択肢があったほうがいいように思えてなりません。

 

今の東大医学部では、その才能が飼い殺しになってしまうという危機感が私にはあるのです。

 

私の人生の選択で、最高にラッキーだったと思うことに、高齢者専門の精神科医という職についたということがあります。

 

多くの高齢者の晩年を見ることで、かつては政治家や経営者として成功した人でも、人に慕われていないと意外に惨めな晩年を送ることを知りました。上に媚びたり、人を蹴落としたりというようなことをすれば、自分より若い人に慕われないだけでなく、自分を引き上げてくれた人がたいてい先に死ぬので晩年は孤独になってしまいます。

 

それに人より早く気づいたので、上に媚びて出世を目指すより、少しでも若い人たちに慕われるような医者になりたいと思うようになりました。

 

さらに言うと、社会的地位なんて究極的には、一過性のものだと思えるようになりました。私はもう60を過ぎましたが、同期の出世頭となった東大教授たちが、民間病院や私立大学への天下りを考えて、そのトップに媚びている姿を見ると、私がもう少し若い頃に気づいたことは正しかったんだと思うようになりました。

 

東大理Ⅲに入った子は、その合格に胸を張っていいと思いますが、東大のなかで出世すればいいという悪しき価値観に染まってほしくありません。

 

もし読者のなかに東大理Ⅲを目指す子や、現役の東大の理Ⅲ生、医学部生がいるなら、自分の実力で勝負して、その能力をいかんなく発揮してほしいし、それによって日本の医学をよりよいものにしてほしい。そのために教授と喧嘩になってもいい。それが医学部の世界ではかなわないと思ったら、躊躇なく、別の世界で勝負してほしいというエールを送りたいのです。

 

その他の読者の皆さんも、少しでも東大医学部に入る子どもたち、若者たちが、ある種の宗教団体のようになってしまった東大医学部が変わって、彼らの才能を発揮できるように応援していただけると著者として幸甚この上ありません。
 

 

和田秀樹
和田秀樹こころと体のクリニック院長

 

 

本連載は和田秀樹・鳥集徹著『東大医学部』(ブックマン社)から一部を抜粋し、再編集したものです。

東大医学部

東大医学部

和田 秀樹 鳥集 徹

ブックマン社

灘高→東大理Ⅲ→東大医学部卒。それは、日本の偏差値トップの子どもだけが許された、誰もがうらやむ超・エリートコースである。しかし、東大医学部卒の医師が、名医や素晴らしい研究者となり、成功した人生を歩むとは限らない…

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