「消費は美徳」の米国と、「貯蓄は美徳」の日本
米国で共有されている「消費は美徳」思想と、逆の日本
この歴史的事実を認識しない人々が「貯蓄は美徳だ」などと叫ぶが、技術はどんどん発展していくので、贅沢(=生活水準の向上)をしなかったら失業者が増えるだけである。
「消費は美徳」という単純明快な事実を唱える学者やエコノミストは日本には少ないが、米国ではそれは常識である。米国の政策の第一義的目的は、老後や将来不安の解消でも財政健全化でも、格差の縮小でもなく、ひとえに生活水準の向上にある。
日本ではバブル崩壊以降は、「成長しなくてもいいのだ」という清貧の思想が一世を風靡した。しかし、一見ストイックな、人々の倫理観に訴えるこの思想は、経済史的見地から見れば誤りだったのは明らかである。日本はなんとしてもこの後ろ向きの経済心理を払しょくしなければならない。
FRBは「インフレタカ派に変わったのか」
付言すると、米国の経済金融理論にしても、経済金融政策にしても、「消費は美徳」を前提的価値観として形成されている。それを「貯蓄が美徳」の価値観を持つ日本の学者や官僚が解釈しても、的外れになるのは当然であろう。
米国ではコロナパンデミック対応の緊急避難的超金融緩和が終わり、長短金利の急上昇と株価下落が起きている。FRBはインフレを軽視し引き締めに遅れてしまった、遅れを取り戻すために急激な利上げは不可避で、深刻な株価調整がおきるとの、タカ派的観測も浮上し、日本にはその支持者が多い。
FRBは「インフレタカ派に変わったのか」それとも「ハト派のままなのか」は、今年の投資戦略を分かつ問題である。その答えは米国経済政策の指令塔が「消費は美徳」の価値観を持っていると認識するかどうかであろう。