時間をかけることに、生きることの本質は隠されている
キッチンに立つことが好きだ。キッチンの本棚には、ビジュアルの美しいクックブックが何冊か並んでいる。その本をめくるとき、インスピレーションが刺激される。
なかでも谷尻直子さんの料理本が気に入っている。彼女は完全予約制レストランを開き、現代版のお袋料理をテーマに、すばらしい料理を提供している。
店の名前がまた素敵だ。その名は「HITOTEMA」。彼女のレシピは素直な味がするので僕はとても気に入っている。この素直さは、「一手間」をかけているからこその味なのだろう。
ものが豊かになったというのに、今は多くの人が暮らしに必要なものが見えなくなって迷っているように感じられる。その理由は、合理的に考えて判断する癖が抜けなくなっているからではないかと、僕は思う。
手間をかけずにことを済ませるにはどうしたらいいか。今を凌ぐにはとりあえず何を買っておけばいいか……。手を抜き、楽をすることさえ「合理的」と呼んだ結果、自分がどちらに向かって歩いているのか分からなくなってしまったのではないかと思っている。
僕が今までやってきたことは、長く使えるものの良さを一般の人に伝えていくことだ。本物を見極める力を伝えたい、そう思って続けてきた結果、今やっと時代が僕らの考えに追いついてきた感じがする。
本物を見極める力をつけるには、いったん「合理的」という言葉から距離を置く必要がある。なぜならこの言葉は、いまや本来の意味から離れてしまい、「最短距離でいく」というような意味にとってかわられているからだ。
もしも最短距離でいくならば、食べ物は口に入れられればいい、ということになってしまう。だが、本当はプロセスにこそ本質があり、喜びがある。谷尻さんの「一手間」にも、僕がキッチンで料理を楽しむことにも、生きることの本質が隠されている。
ときに回り道をすること、じっくりと時間をかけること、それによって得られる喜びをかみしめたとき、合理的という呪いから開放されていく。
ヨーロッパの街並みに「身勝手な建物」がない理由
美大でデザインを勉強していた3年目、夏休みを利用してヨーロッパを回った。旅の仲間は、同世代の友人二人だ。
まずは横浜港からナホトカまで船に揺られた。そこから大陸鉄道を使ってイルクーツクまで進み、飛行機でモスクワへ飛んだ。エルミタージュ美術館を見学したあと、今度は列車でフィンランドに入った。
ヘルシンキからスウェーデン、デンマーク、それからミラノへと続く。ミラノからは車で北上してスイス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、オランダ、フランスとめぐった。スペインから再びフランスに入り、ミラノは通り越して、今度はナポリへと南下していく。気がつけば2カ月間、車で走り回っていた。
あとあと聞いてみると、初めてのヨーロッパは、フィンランドまでこのコースを経由して行った人が結構多い。安藤忠雄さんもそうだし、皆川明さんも同じコースで行ったというのを何かで読んだことがある。
当時から、北欧のデザインは一目置かれていた。その頃、デザインの祭典で最大のイベントは、デンマークのベラセンターで行われていた、スカンジナビアンインテリアフェアだったと記憶している。それからずっとあとになってからミラノやパリ、フランクフルトといった都市に、デザインの中心が移行していったのだと思う。
僕らはまだ十代の終わりの年頃だったので、計画を立ててデザイン建築を見にいくほどのレベルに達していなかった。だから、デザインを見るというよりも自然と、文化を見るような形で旅は進んだ。
ただ偶然といえば偶然だが、北欧で最初に訪れたのがフィンランドのヘルシンキだったというのは、のちのちセンプレを起こし、まずはアアルトの椅子を扱ったこととつながっていく。いずれにしても、最初にヨーロッパに接したのがフィンランドだったから、この土地の印象は今でも強烈に残っている。
それからスウェーデンのストックホルムの街は、環境的にもデザインも、とても近代的だった。街中で目にする色も鮮やかで垢抜けている。当時の日本と比較すると、かなり印象の差があった。街の基礎計画がしっかりしているのだろう。フランスはナポレオンが建物の大きさまで決めていたというけど、ほかの都市だって当時から、かなり都市計画が進んでいたのだと思う。
日本の場合は、どこを見ても小さい建物が無計画に乱立している。当時も今もかわりなく、住宅もビルも使い捨てのように作られている。意味のある立派な建築物までスクラップして、代わりにぺらぺらの建物を短期間でたちあげる。
この間、渋谷の街を歩いた時に、都市計画を立てて建てたとは考えられないような、身勝手な建物があると強く感じた。圧倒的に良い建築と、建築家は日本にいないんじゃないかと思うくらいの建物の差が激しい。時間や物に対する感覚みたいなものが、これでいいのかなと、僕は不安になってしまう。
僕らの街は、1900年代はじめに戻ったほうがいいのかもしれない。その頃に帝国ホテルを設計したライトは、建物だけでなく、家具からフォーク一本に至るまですべてのものを手がけ、帝国ホテルという環境をデザインした。それが本来、最も血の通っているデザインだと思う。
田村 昌紀
SEMPRE DESIGN 代表取締役会長
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