行動すれば、自分の意見を持てる
私の場合、3つの要素のなかで、最も影響を受けたのは、九州大学時代に入った探検部での経験でした。私が入学した1969年は大学紛争の影響で東京大学の入試が中止になった年で、キャンパスにはまだ学生運動の嵐が吹き荒れていました。私も時代の空気に巻き込まれ、1年生でも学生同士で議論するのが日常茶飯事でした。
そんなある日、2、3年浪人して、私より幾分人生経験を積んだ相手から、こう詰問されたのです。
「君がいっているのは、自分の意見か」
私は、その言葉が胸に突き刺さりました。実は、議論でもその前の日に読んだ本に書かれていたことをいっただけで、自分の意見ではありませんでした。それからというもの、学生運動からも遠ざかり、自分からは意見をいい出せない日々が1年ほど続きました。
すべてから逃げている。なぜ、こんな自分になってしまったのだろう。大学の近くにある丘に登り、夕日を見ながら自問して気づいたのは、自分には決定的に行動力が欠如していることでした。だから、言葉をもてあそぶだけになってしまう。
行動すれば、自分の意見を持てるようになるかもしれない。そう考え、2年生になって入部したのが探検部でした。初めのころは、装備係や食料係といった地味な仕事を自分から進んで担当しました。
すると、実践に裏づけられた知識がどんどん蓄積され、それをもとに、次第に自分の言葉で発言できるようになっていきました。
人はなぜ、探検をするのか。「外的世界の拡大は内的世界を深化させる」からだと私は考えています。行動範囲を広げると精神性が深まる。そのことを、私は活動を通して実感してきました。
この積極的な行動と発言が評価されたのか、3年生になるとキャプテンに選ばれました。これは自分を変え、自分を鍛える絶好のチャンスだと思い、リーダーシップのあり方を学んでいきました。
私は法学部に在籍しましたが、「九州大学探検部卒」と名乗るのは、探検部での経験が私の価値観のもとになったからでした。人生は探検である――。実際、私は民間企業から大学の教壇へと勇気を持ってこぎ出したように、探検家のような人生を歩むことになっていきました。
久恒 啓一
多摩大学名誉教授・宮城大学名誉教