「座っているこの椅子は特別なものだぞ」――。ある日、ビートたけしがテレビの番組で話したという。気づくことで、送るその後の芸能生活は全然違うものになり、その気づきによって得られた教えは、もうどこの世界でも通用する大切な教えになるという。その教えとは。※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

勝負すらさせてもらえない人たちがいる

形を真似るのではなく、優れたものの魂を真似よ
真似はその形を真似ずして、その心を真似よ。
【『渋沢栄一訓言集』一言集】

 

■「座っている椅子は特別なものだぞ」

 

気づく、気づかない。これは人によってさまざまです。ただし、気づくことで、送るその後の芸能生活は全然違うものになると思います。その気づきによって得られた教えは、もうどこの世界でも通用する大切な教えです。

 

たけしさんもそうですが、「これからいい話をするぞ!」と言って話してくれません。100%、いつもさり気ない雑談の中に潜んでいます。その意味で、言葉もまた一期一会なのです。

 

ある日、たけしさんがテレビの番組でこんなことを話されていました。

 

「いいか、今日、俺たちはここで仕事をしている。俺たちがここに座っているということは、この椅子に座れなかった数百人、数千人の芸人がいるということだ。そんなことで成り立っている仕事なんだ、特にテレビの仕事は。選ばれた4~5人しか、そのテレビ番組には出られない。だから、俺たちが今、座っているこの椅子は特別なものだぞ」

 

僕はその話を聞きながら、「本当に、そのとおりだな」と思いました。たけしさんはその話をすることで、「変な話、別にその椅子は、おまえたちじゃなくてもいいんだからな」という、当然突きつけられるもう一つの本音に、僕たちは少したじろぎました。

 

たけしさんは勝ち残ってきた人でした。先ほどの話も勝ち残った人の発言です。しかし、それは決して悪いことではない。要は、座っている意味を考えながら、そこに感謝しながら、ずっと生きて来たんだということを、僕たちに教えてくれました。

 

■魂を真似るとは?

 

座ることができなかった人とは、勝負すらさせてもらえなかった人ということになります。「おまえたちはまだ、勝負させてもらえる。椅子に座ったんだったら、全力でやらないとな」。テレビ画面の裏で、ときにはこんな言葉が生まれています。

 

たけしさんとか、タモリさんになると、会話しなくても、その様子から語りかけられているような気持ちになります。

 

僕の場合は、少しだけまじめな話を聞いてみたくなります。たけしさんもまた、何かを持っている方なんです。やはり先輩たちは、僕たちが経験していないことを経験してきている人たちです。しっかりとした考え方、経験を持っている。その話を聞かせてもらえるうちは、聞いたほうがいいと思います。

 

ところで、渋沢さん、「魂を真似る」とはどういうことでしょうか。

 

「……」

 

渋沢さんは沈黙するばかりで、何も答えてくれません。

 

「『それぐらいは、自分で考えろ!』という意味でしょうか」

 

「そうだ。答えとは常に、足許にあるものだ」

 

「……」

 

「大木くん、君が沈黙してどうする。たけしさんの先ほどの話を聞いたときに、どうした。いい言葉だなと思いながら、どうした。頭の中で反芻しただろう。人によっては、その言葉をメモし、事あるたびに、メモに書かれたその言葉を見つめ直す。つまり、その言葉にとらわれることだ。その繰り返しを重ねるうちに、大木くんの心の中に、たけしさんの言葉が住みつくようになっていくのだ」

 

「渋沢さん、ありがとうございます。渋沢さん、あなたはひょっとして松陰先生ではないですか」

 

「違う、失礼な。私は渋沢栄一だ」

 

 

ビビる大木

 

ビビる大木、渋沢栄一を語る

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ビビる 大木

プレジデント社

歴史好き芸人・ビビる大木が、 同郷の偉人・渋沢栄一の遺した言葉を紐解く! 「はじめまして、こんばんみ! 大物先輩芸人と大勢の後輩芸人の狭間で揺れる40代『お笑い中間管理職』の僕。芸人としてこれからどうやって生き…

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