急に不登校になった少年「なんで自分だけ…」
小学六年生のA君が不登校の件で両親と共に受診したのは、予約して半年後の冬休み期間中であった。母親の話では、小学五年までは早寝早起きで元気に登校していたのに、小学六年のクラス替えの後、朝が起きにくくなり、登校をしぶるようになった。夏休み明け以降ほとんど登校出来ない状態が続いているという。
学年は三クラス編成で、一クラスだけに問題行動の子を集め、厳しい担任の元で授業が行なわれているらしい。仲のよい子らとはちりぢりになり、「なんで自分だけこのクラスに……」とつぶやいている。
父親に意見を聞くと、不登校は甘えやわがままではないかと思うのだが、厳しくしつけてよいかどうか相談に来たのだという。転勤族で四月には転勤になるのでせめて保健室登校でもいいから行ってほしいという気持ちのようだった。
その後、本人とこんなやりとりをした。
「学校楽しい?」「楽しくないです……」
「授業時間と休み時間どっちがきつい?」「休み時間です……」
「どうして?」「大声で騒ぐ子や、ケンカをする子もいて教室中が騒々しい」
「仲のよい子はいないの?」「みな、別のクラスに移っていません」
「そうか、暴れん坊クラスに入れられたんだ。それはつらいねー」
「話せる子はいないの?」「全然……」
「そうか、つらいね……、クラスの中のおとなしい子たちはどうしている?」「ただじっと我慢している感じです」
「落ち着いて勉強できる状況ではないわけだ……つらいよね」
そこで、こんな問いかけをした。
「暴れん坊たちに対して君はどんな気持ち?」「わがままで自分勝手だと思う」
「確かにわがままだよなー、その気持ちわかるよ。ところで、そういう子たちは、どんな生い立ちだったのか知っている?」「知りません」
「先生の経験からいうとね、多分、その子たちの多くは貧しく、つらい子ども時代を送っていたのではないかなー。お母さんが夜の仕事をしていて独りぼっちで帰りを待っていたとか、お父さんとお母さんの仲が悪くいつもケンカばかりしてビクビクしていたとか……。
そういう子どもたちは自分の本当の力の出し方を知らないし、それを発揮できるチャンスもなかったから乱暴な振る舞いで強がってみせているかもしれない。強がり過ぎて少年院に入れられる子だっているかもしれない。勉強も出来ないまま大人になるといい仕事を見つけにくいし、最後にはホームレスになる人だって出ないとは限らない。強がっていても本当はさみしいのではないかな……。みんながみんな、君達のように素敵なお父さんやお母さんがいるとは限らないのだ……」
それから二週後の一月中旬、父親と本人が予約日に合わせて受診してきた。父親に状況を聞くと、「最近頑張って登校し始めています」と嬉しそうだ。
「どうして行けているのでしょう」「四月には転勤になるので頑張っていると思います」
そのあと、本人とこんなやりとりをした。
「どうして頑張れるようになったの」に、少年の答え
「学校行けるようになったんだってね。すごいなー」
「どうして頑張れるようになったの」
「暴れる子たちもつらかったんだという先生の話を聞いて……」
「そうか、その子たちもつらい思いをしているんだと思えたんだね。君はやさしいなー、えらい!」
「ぼくに話しかけてくる子も出てきたので行きやすくなった……」
乱暴な子たちの生い立ちに思いを寄せ、やさしいまなざしを向けたことで、乱暴な子たちが変わっていくことを実感したのであろう。こういう介入法は部外者で第三者である医師がやったからこそ、通用したのかもしれない。
当事者に近い親や教師がそういう介入をしても「操作しようとしている」というバイアスがかかり通用しなかったかもしれない。見方を変えると、相手も変わることを子ども自身が体験を通して学んだケースのように思えた。
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大宜見義夫(おおぎみ よしお)
1939年9月 沖縄県那覇市で生まれる
1964年 名古屋大学医学部卒業
北海道大学医学部大学院に進み小児科学を専攻
1987年 県立南部病院勤務を経ておおぎみクリニックを開設
2010年 おおぎみクリニックを閉院
現在 医療法人八重瀬会同仁病院にて非常勤勤務
医学博士
日本小児科学会専門医 日本心身医学会認定 小児診療「小児科」専門医
日本東洋医学会専門医 日本小児心身医学会認定医
子どものこころ専門医
沖縄エッセイストクラブ会員
著書:「シルクロード爆走記」(朝日新聞社、1976年)
「こどもたちのカルテ」(メディサイエンス社、1985年。同年沖縄タイムス出版文化賞受賞)
「耳ぶくろ ’83年版ベスト・エッセイ集」(日本エッセイスト・クラブ編、文藝春秋、1983年「野次馬人門」が収載)