(※写真はイメージです/PIXTA)

小児科医である大宜見義夫氏の著書『爆走小児科医の人生雑記帳』より一部を抜粋・再編集し、子どもたちとの心の触れ合いを紹介します。

「靴はイヤ…」型破りのM君が診察室にやってきた

小学四年生のM君の登場はすこぶる型破りだった。伸び放題の髪を逆立て、靴を履かず、裸足のまま、母親と共に診察室に現れたからだ。

 

「M君、こんにちは、体大きい、力もありそう……。運動は好きかい?」と尋ねるが面倒くさそうに無言のまま椅子に座った。

 

「でもよく来てくれた。君はひょっとすると床屋さんが苦手なんじゃないかな? 髪を刈る時、頭や首のあたりがチクチクするとか……」と尋ねると、一瞬顔を上げ「うん」とうなずき、「頭にカンパチ(円形脱毛症)もあるし……」と答えた。

 

「なるほど床屋さんが苦手なんだ。靴や靴下をはくのも足がムズムズしてイヤじゃないのかな?」と聞くと、「うん、だから靴はイヤ……」とぽつりと答えた。

 

母親の話では、幼少の頃から発達障害の特徴を有し、抱くと反り返って泣く、場所や雰囲気が違うとぐずる、着衣の肌触りにもすごく敏感だったという。

 

乳児期から人見知りせず、母の後追いもなく、一人遊びが多かったので共働きの母親にはかえって好都合だった。

 

しかし、保育園や幼稚園に入ると、乱暴な振る舞いが目立ち始めた。小学校入学後もトラブルが頻発、学校から発達障害の可能性を指摘された。

 

ところが不思議なことに、小学三年生の時の担任との相性はよく、問題行動が激減した。

 

担任から「イライラしているときはイライラ煙が立ちのぼってほかの子にもイライラがうつるから、そういう時は別のところで休もうね」と言われ、空き教室や図書館で休ませてもらっていた。


担任の上手な対応が功を奏し、問題行動がほとんど目立たなくなったため、特別支援学級への移籍も見送られた。


ところが、小学四年生になった途端、状況が一変した。

「なおしたいの?」「なおしたい…」

イライラが目立ち、級友との衝突を繰り返すようになった。 担任も対応をいろいろ変えていたようだがトラブルは続き、些細な事で癇癪を起こし、授業にも支障をきたすようになった。

 

対応に苦慮した担任から、興奮を沈めるための薬の相談をしてはと進言され、受診したのだった。

 

M君の知能検査の結果はほぼ平均範囲内で知的の遅れはなく、注意欠如多動症(ADHD)を伴う高機能自閉症が考えられた。

 

母親の話では小学三年生の時は勉強も順調で、友達も大勢でよく家に遊びに来ていたという。ところが四年生になって急にイライラが目立ちはじめたとのことだった。

 

一か月後、M君が裸足のままながらボサボサ髪を刈り上げ、丸坊主姿で診察室に現れた。手にポケモンカードをいっぱい抱え嬉しそうだ。

 

丸刈り姿になったことから、こちらの期待に応えて髪を刈ってきてくれたのかと喜んだら勘違いだった。ボサボサ髪にクラスメイトのシラミをうつされ、やむなく散髪に応じたとのことだった。

 

本人との対話はスムーズに進んだ。

 

「頑張って学校に行っているんだってね。えらいなー、今、学校では何が一番楽しい?」

「トイレ……」「えっ! トイレ! なぜ?」

「トイレでオシッコするとき」

「そうか……、トイレでホッとできるんだ。頑張っているんだ……」

「君は学校で怒りん坊になること知っている?」「知っている……」

「なおしたいの?」「なおしたい……」

「教室でおとなしくじっとして先生から怒られないようにしたいの?」「したい……」

「つらいよね、でも君はえらい、つらくてもこうして学校に行けているのだから」

「……」

 

M君は自分の苦手な部分についてきちんと自覚していた。

 

じっとしているのが苦手、大勢の中にいるのも苦手、大きな音や、団体行動も苦手、靴や靴下を履くのもイヤ、漢字の書き取りも得意でない、忘れ物も多い、カッとなりやすいことなどきちんと自覚していた。自覚はしているもののコントロールできずに苦しんでいるようだった。

 

M君はよくなるものなら、苦い漢方薬も飲んでもよいとも言った。

 

本人にいったん、退出してもらい、母親と話し合った。

M君の急変の謎が解けた…母が明かしたことは

「M君は前の担任をすごく慕っていたと聞きましたが、今、前の担任について話すことはありますか」

「ありません」

「M君の態度が急に変わったのは正確にはいつ頃からですか?」

「確か三年生の終了式前後からだと思います。春休み中も不安定でした」

「確認しますが、四年生の新学期の前から不安定になっていたんですね」「そうです……」

 

 

「前担任とのお別れの後からイライラが始まったのですか」「そうだと思います」

「前担任の話を何か話しましたか」「話していません」

「前担任をすごく慕っていましたよね」「慕っていました」

「お別れ会の後からイライラが始まったのですね……」「そうです」

「イライラ状態で新学期を迎えたわけですね」「そうだと思います……」

「今の担任はご自分のせいでイライラしていると思っておられませんか」「そう思っているかもしれませんが、その辺はよくわかりません」

 

M君の急変の謎が解けたかに思えた。M君は大好きな先生への思慕の情を断ち切れず苦しんでいたのだ。前担任への思慕の念を処理できないまま新学期を迎えたことで、不安定な感情が一気に噴出したのだ。

 

通常、子育てを終えた母親が遭遇する「空の巣症候群」やペットの死で直面する「ペットロス症候群」では、当事者は強い抑鬱感情や悲哀の感情にとらわれやすい。しかし、子どもの場合、愛着対象との別れに遭遇したとき、抑鬱感情や悲哀感よりもイラツキや興奮という形で表面化しやすい。

 

高機能自閉症にADHDが併存するM君の場合、それが顕著に出ている可能性があると母親に説明した。担任は、そういう事情を知らず、イラつき、長髪や裸足で登校するM君の対応に苦慮している様子だった。診療を終えるにあたりM君と再び言葉を交わした。

 

「君はよく頑張っている。えらい!」と褒めてあげた。

 

診療を終え、M君母子が退出し、次の患者の電子カルテに目を通していると、M君がいきなり戻って来た。笑みを浮かべて両手いっぱいのポケモンカードを広げて見せ、「好きなのを取って!」と叫んだ。「ありがとう!」と言って一枚頂戴した。

 

笑顔で退出したM君は再び駆け戻り「もう一枚上げる」とカードを差し出し、駆け抜けて行った。M君が表現しうる精一杯の好意のようだった。

 

以後、散髪をきちんとやり、靴を履くようになったM君との対話は続いている。ADHDの薬の効果もあってM君は穏やかな学校生活を送っている。

 

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大宜見義夫(おおぎみ よしお)

 

1939年9月 沖縄県那覇市で生まれる
1964年 名古屋大学医学部卒業
北海道大学医学部大学院に進み小児科学を専攻
1987年 県立南部病院勤務を経ておおぎみクリニックを開設
2010年 おおぎみクリニックを閉院
現在 医療法人八重瀬会同仁病院にて非常勤勤務
医学博士
日本小児科学会専門医 日本心身医学会認定 小児診療「小児科」専門医
日本東洋医学会専門医 日本小児心身医学会認定医
子どものこころ専門医
沖縄エッセイストクラブ会員
著書:「シルクロード爆走記」(朝日新聞社、1976年)
「こどもたちのカルテ」(メディサイエンス社、1985年。同年沖縄タイムス出版文化賞受賞)
「耳ぶくろ ’83年版ベスト・エッセイ集」(日本エッセイスト・クラブ編、文藝春秋、1983年「野次馬人門」が収載)

※本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『爆走小児科医の人生雑記帳』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。
※「障害」を医学用語としてとらえ、漢字表記としています。

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