子ども時代を取り戻し、子どもらしい体験をやり直す
愛着障害の人は、子ども時代に満たされなかった大きな欠落を抱えている。その克服は、ある意味、子ども時代を取り戻し、そこでできなかった甘えを甘え直し、やりそこなった子どもらしい体験をやり直すことかもしれない。
回復の過程で、子ども返りをしているように甘えたり、子どもがするような遊びや空想に夢中になったりすることもある。あるケースでは、母親が看護師として忙しく働き、夜勤も多かったため、夜も幼い娘を祖母のもとに残していかねばならなかった。成長して問題を抱えるようになった娘に向き合う中で、小さいころに寂しい思いをさせてきたことを思い起こした母親は、すでに二十歳をすぎた娘に、幼い子にするように添い寝をし、童話を読んでやった。それを半年ほど続けたとき、娘の状態は落ち着きを取り戻し、希死念慮や自傷行為も消え、やがて子ども返りした状態もなくなっていったのである。
今まで品行方正だった人が、あまり道徳的でないことをしたり、何かにのめり込んだりしているときというのは、じつは不足しているものを取り戻し、愛着の傷を少しでも和らげようとする自己治癒の試みであることも多いのである。アルコールや薬物に溺れることも、買い物や異性に依存することも、そこに求めているのは、その興奮や陶酔に自分を忘れることであり、オッパイをたっぷり与えられて眠りに落ちる赤ん坊のように充足を感じることなのである。
あなた自身の中に「安全基地」は育める
不足が大きいほど、それを補うことは容易ではないのだが、その欲求はあまりにも切実なので、すべてを犠牲にしてでも、求めずにはいられない。愛人を作って家庭を壊してしまったり、子どもやそれまでの人生を捨てて、新しい生き方を求めることもある。
それもまた、克服されていない愛着の課題に振り回されて起きていることかもしれないが、同時に、抱えている安全基地への渇望を癒し、それを克服するための試みとしておこなわれている場合もある。
しかし、そうした試みも、本当の安全基地を手に入れることができなければ、大きな痛みと損失だけを残して、無残な失敗に終わってしまうこともある。
大きな賭けに出なくても、もっと誰も傷つけない形で、安全基地を取り戻すことができれば、それに勝ることはない。結局、安全基地とは、どこか遠くにあるというよりも、あなたの身近に、そして、あなた自身の中に育むことのできるものなのである。
あなた自身が身近な存在に対して、安全基地になれるように努めることで、あなたも安全基地を手に入れやすくなる。それは、少し心がければ、我々が日々の暮らしの中で、取り組めることなのである。
※なお、本文に登場するケースは、実際のケースをヒントに再構成したもので、特定のケースとは無関係であることをお断りしておく。
岡田 尊司
精神科医、作家