離婚の傷を抱えた女性の、回復までの道のり
澄美子さん(仮名)の父親は、とても優秀な弁護士だった。母親との間に緊張感があることは感じていたが、澄美子さんには優しい父親で、父親は弁護士として、弱い者の味方として戦っていると信じていた。それだけに、小学四年のとき、父親が愛人を作って家から出ていったときには大きなショックを受けた。
そのころは理解できなかったが、母親は男勝りな性格で、女性としての優しさや思いやりにはどこか欠けたところがあったのだと思う。
思春期になり澄美子さんは、そんな母親といがみ合うことが増えるにつれ、いなくなった不在の父親が、いつしか理想化されていったのかもしれない。
大学在学中に父親が亡くなったとき、澄美子さんは大きな喪失感を覚えた。その喪失感を埋めてくれたのが、それから間もなく出会った弁護士志望の男性だった。社会を良い方向に変えようという理想を語る男性に、澄美子さんはたちまち惹かれていったが、そこには失われた父親への思いがあったに違いない。
司法試験を目指す夫を支えるため、英語の得意な澄美子さんが大学の秘書として働いて、生活費を稼いだ。幸い夫は試験に合格し、弁護士となる。経済的にはそれほど裕福とは言えなかったが、社会派の弁護士として活躍する夫を、澄美子さんは誇りに思っていた。澄美子さん自身も事件の資料集めを手伝ったりした。扱った事件が良い方向に解決したときには、夫と手を取り合って喜んだこともあった。
●理想的な夫婦だったはずが、夫の不実が判明し…
しかし、二児が生まれ、澄美子さんも子育てで忙しくなり、また生活のために、夫はもっと実入りのいい仕事を引き受けるようになった。金回りが良くなり、贅沢も少しはできるようになったが、「そんなことは望んでいないのに」と思うこともあった。夫も変わったなと思ったのは、ブランド物の高級スーツやカバンを平気で買うようになったことだった。以前の夫は、そういうことを軽蔑していたのだ。
夫との関係に問題があるとは感じていなかったし、世間的に見れば、理想的な夫婦だと思われていた。しかし夫に対して、何か以前ほど尊敬できないものを感じていた。そんなとき、ショッキングなことが発覚する。夫が事務所の若い秘書と関係していることを知ってしまったのだ。
夫の不実をどうしても許せなかった澄美子さんは、うつ状態になる。夫と歩む人生以外のことは、考えたこともなかったので、その夫に裏切られた今、もうすべてが終わったように感じられてしまったのだ。いっそのこと死のうかと思ったことも何度かあった。だが、子どものことを考えてどうにか踏みとどまった。それに、自分が死んでしまえば、夫は喜んで、愛人の女と再婚すると思ったのだ。意地だった。
しかし、夫との関係は冷え切ったまま。夫婦でいることの意味は、ただ夫への罰の意味だけだったかもしれない。それに、自分がいちばん嫌だったこと、つまり自分の母親と同じようになってしまったことを、認めたくなかったのだ。
だが、憎しみに生きることは、心を腐らせるばかりで、このままでは自分はダメになると思った澄美子さんは、ついに離婚を決意する。
●父親の喪失による失望を、自らの手で回復する
別れた後も、しばらくは、心の傷跡を引きずったままで、何をする気力も湧かなかった。うつ状態が遷延する澄美子さんの治療に、筆者が携わるようになったのは、その段階でのことである。
世間から羨まれるような夫婦だっただけに、夫の不実やその後のゴタゴタについて、澄美子さんは誰にも話さずに我慢していたことも多かった。彼女の心が受けた衝撃を、本当の意味で理解するためには、彼女のこれまでの人生を幼いころから振り返り、一つ一つの出来事を語ってもらう必要があった。
彼女はこれまで誰にも話せなかった思いを、ありったけ語り、そして泣いた。その思いを受け止め続ける中で、澄美子さんは落ち着き、次第に元気を回復していった。
しかし、ここまでは、治療者が安全基地となることができたとしても、この先、彼女が真の回復を遂げていくためには、彼女にとっての新たな安全基地を、身近な生活の中に見つけ出し、手に入れていく必要があった。