書く行為は「黙って話を聞いてもらう」ことに似ている
愛着障害を抱えている人が、安全基地となってくれるサポート役になかなか出会えない場合には、他の方法で安全基地の代わりを求めることも必要になる。
そうしたものとして有用なものの一つは、日記や文章を書くことである。
安全基地とは、自分が求めたときに、ありのままに受け止めてくれる存在である。「書く」という行為は、黙って話を聞いてくれる話し相手に似ている。ありのままの思いを表現し、書き留めることは、吐き出すことによるカタルシス効果とともに、自分を客観視する練習にもなる。
夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫……。日本文学で見ても、名だたる作家の多くは、深刻な愛着障害を抱えていた。彼らは、愛着障害を克服するために、作品を書き続けたともいえるほどだ。書くという行為にしか、安全基地を見出せなかったのかもしれない。もちろんそれで抱えているものを完全に克服できたわけではないが、少なくとも、彼らの苦難を意味あるものにするのには役立ったに違いない。
ドストエフスキーやヘルマン・ヘッセのように、書くという行為によって、自らの愛着障害と戦った人もいた。彼らは書くことによって、自分の味方を手に入れ、最終的に愛着障害との戦いにおいて勝利を収めた。
また、先ほども少し述べたように、愛着は相互的な現象であるため、自分が他の存在に愛情や世話を与えることによっても、愛着システムは活性化し、自分の愛着の傷を癒すことができる。このことも、愛着障害を克服する上では重要なことである。
安全基地となってくれる誰かに自分が大切にされることは、自分の努力だけでは実現しない課題であるが、逆に自分が他者の安全基地となり、その存在を大切にするということは、努力次第で実行可能である。
ペットや動物の世話をすること。困っている人の面倒を見ること。仕事で子どもや介護を必要とする人の世話をすること。そしてもちろん、自分自身の子どもを育てることも。
こうした体験は、愛着の傷を癒すチャンスとなる。実際、愛着の傷を抱えていて、「子どもをもつことなど考えられない」と言っていた人が、何かの間違いで親となってしまい、最初は愛せないのではないかと悩んでいたものの、生まれてから夢中で世話をするうちに子育てに喜びを感じるようになり、ご自身も安定するというケースもよく経験する。
また、若いうちは不安定な自分をもてあましていたが、子どもにかかわる仕事をしているうちに次第に安定し、その子たちの親代わりの存在として活躍するという場合もある。
児童精神科医の草分けとして知られるウィニコットや、児童分析の創始者ともいえるアンナ・フロイトは、自分自身の子どもをもつことはなかった。