そんなとき、澄美子さんは自分から、「あるボランティアの仕事をやってみたいと思うのですが、どうでしょう」と相談してきた。きっとそれはいいきっかけになると思った筆者は、そんなふうに考えられるようになったことを喜び、「気軽に試してみたら」と、少し自信がなさそうな澄美子さんの背中を軽く押した。
「わかりました」とうれしそうに笑って帰っていくと、澄美子さんは翌月から、そのボランティアの仕事を始めた。英語力を活用できるボランティアで、澄美子さんは自分にも役立てる仕事があるということが、とてもうれしかったようだ。その活動について、来るたびに喜々として報告してくれた。
●新たな安全基地となった存在は、再婚相手などの特定の人物ではなく…
それからもう何年もたったが、今も澄美子さんは元気にその活動を続け、充実した日々を送っている。ボランティア活動を通して知り合いも広がり、弁護士夫人として暮らしていたころよりも、生き生きとしている。
ご自分でも、「あのとき離婚を決意して良かったと思っている」と語り、「自分の中に、夫に対する失望があって、夫はどこかでそれを感じ取って、自分を心から尊敬してくれる存在に走ったのかもしれない。だけど、夫が先に裏切ってくれたので、内心嫌気がさしながら夫婦を続けるということをしなくて良くなった。おかげで、自分らしい人生を取り戻すことができたのだと思っている」と、笑いながら話せるようになっている。
澄美子さんの場合、新たな安全基地となった存在は、再婚相手などの特定の人物ではなく、彼女が子どものころから憧れていた、「困っている人の味方になるという生き方をする」ことだった。そこで出会った人たちを支えること、つまり彼女自身がその人たちの安全基地となることが、彼女に安全基地を与えてくれたのである。
そこには、彼女自身が尊敬する父親を、小学四年生のときに失ったという心の痛手も関係していただろう。弱い者の味方であったはずの大好きな父親が、不倫に走り、母親を泣かせるという事態に、まだ少女だった澄美子さんは大きな衝撃を受けた。失われた父親を取り戻そうと、彼女は夫に理想の存在を求めたが、それも裏切られてしまう。
結局、誰かにその役を求めるのではなく、彼女自身が、父親にしてほしかったことを困っている人々におこなうことによって、子ども時代に味わった大きな失望を回復させようとしていたに違いない。