妻・アンナという安全基地を得て、賭博癖さえも克服
それもドストエフスキーが、彼女の助けと救いを切実に必要とする状態だったからということがあるだろう。それほどひどい状態だったからこそ、真の救い手と出会えたのである。
その逆を考えてみれば、それは明らかだ。ドストエフスキーがトルストイのように成功した作家で、財産にも地位にも恵まれていたら、アンナのような存在に出会えただろうか。
トルストイが手に入れた妻は、彼の安全基地とはとうてい言えない存在だった。家に居場所をなくした老トルストイは、家から逃げ出したあげく、駅のベンチで亡くなったのである。結婚から十三年後、妻や家族に優しく見守られて臨終を迎えたドストエフスキーと、何という違いだろう。
アンナという支えを得たことは、ドストエフスキーにとって人生最大の幸運であった。ドストエフスキーは、安定した愛情でいつも自分のことを優先的に考えてくれる伴侶を手に入れただけでなく、初めて実子をもつこともできた。家事を見事にきりもりしただけでなく、金銭の管理にも長けていたアンナの内助の功により、借金を次第に返済し、ついに貯金ができるまでになる。創作活動も、新しい境地を開き、『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』という傑作群が続々と生み出されることになった。
長年、ドストエフスキーに取りついていた賭博癖さえも、アンナの支えによって、ついに克服できた。アンナは最初のうちは、お金をもつと、つい賭博場に走って、有り金を使い果たさずにはいられないドストエフスキーを理解できず、嘆いたり、あきれたりしたのだが、それでも夫が賭博熱を断ち切れずに苦しんでいるさまを見て、自分からお金を差し出し、賭博に行くことを勧めさえした。
そうなったとき、ドストエフスキーは、そこまで自分のことを大切に考えてくれる妻の愛情に心を打たれ、きっぱりと止めてしまった。愛着の安定化が、重度の賭博癖にさえ終止符を打つことを可能にしたのである。アンナという安全基地を得たことで、ドストエフスキーは自らの愛着障害をついに克服できたといえるだろう。
岡田 尊司
精神科医、作家