「ワークライフバランス」という概念への疑問
コロナ禍で多くの企業に広まったテレワークは、以前から国や自治体、一部企業において、普及に力が入れられていました。政府が2016年に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」「経済財政運営と改革の基本方針2016(骨太方針)」「日本再興戦略2016」などにも、テレワークという用語が随所に登場します。テレワークは「ITを活用した場所や時間にとらわれない柔軟な働き方」という意味で使われます。
テレワークが注目された背景の1つには、少子高齢化による生産年齢人口の減少という社会問題があるのでしょう。子育て、親の介護など、ライフにおける負担が増すなかで、働く場所や時間を柔軟に決められるようにすることで、ワークとライフのバランスをとりながら、誰もが働き続けられるようにする。それがテレワークの普及のねらいでした。
DXの一環として進められてきた取り組みが、コロナ禍により一気に加速したわけです。
これまで、テレワークはもっぱら、ワークライフバランスとの関連で論じられてきました。
ワークライフバランスは、「仕事と生活の調和」と訳され、その推進に取り組んでいる内閣府のウェブサイトによると、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」と定義されています。
つまり、「仕事(ワーク)」と「家庭や地域などにおける生き方(ライフ)」のバランスをとり、調和をはかるという意味です。
しかし、ワークライフバランスという概念について、私は以前から疑問に思っていました。
仕事と生活の調和をはかるという考え方の根底には、ワークとライフを分け、一方をとるともう一方が犠牲になるという具合に、ワークとライフは対立しがちであるというとらえ方があります。私は、ワークとライフを分ける考え方がおかしいと思うのです。
ワークとライフとは対立するものではなく、ライフのなかにワーク(仕事)も入っているととらえるべきであると考えるからです。
久恒 啓一
多摩大学大学院客員教授・宮城大学名誉教授・多摩大学名誉教授