「ライフ」にはの3つの意味がある
ワークライフバランスのライフは一般的に「生活」を意味しますが、ライフはもっと幅の広い意味を持っています。
英語の「life」の意味を辞書で調べると、「生活(暮らし、日常生活)」「人生(生涯)」「生命(命あるもの)」という意味が出てきます。
語源はおそらく「生命」を意味する言葉で、調べてみると、派生語として「のこる(残る・遺る)」「のこす(残す・遺す)」という意味の言葉もあります(「leave=残す」につながる語)。生命の連綿たるつながりが想起されます。
私たちは、ライフというと、もっぱら「生活」や「人生」を思い浮かべますが、もう1つ大切なのは、何代にもわたる「生命」のつながりという意味のライフです。
自分は連綿と続く生命の歴史のなかにいる。自分はその生命の遺産を受け継いだ存在であり、そしてまた、命の遺産を次世代に引き渡す存在である。受け継ぎ、受け渡す。
そのとき、私たちは何を次世代に残せばいいのでしょうか。
明治時代の日本の知識人に大きな思想的影響を及ぼした人物に内村鑑三というキリスト教思想家がいます。内村鑑三は、著作『代表的日本人』のなかで、欧米の人々に向け、「日本人がいかに優れた民族であるか」を伝えるため、二宮尊徳、西郷隆盛、上杉鷹山、日蓮上人ら、歴史上の偉人の生涯を紹介し、日本的な道徳や倫理の美しさを切々と説きました。
その内村鑑三は代表的著作『後世への最大遺物』のなかで、「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくしてゆこうではないか」と説きました。
そのために、人は何を残せばいいのでしょうか。
お金儲けが得意な人はお金を、事業が得意な人は事業を、文章を書くことができて、本を出版できる人は思想を残す。しかし、そのいずれの才能もない人はどうすればいいのか。
内村鑑三は、誰にでも残すことができる「最大遺物」があるとして、それは「勇ましい高尚なる生涯」であると説くのです。
もちろん、「勇ましさ」や「高尚さ」は人それぞれでしょう。「自分は勇ましくもないし、高尚なる生涯など送っていない」と思われる人も多いのではないでしょうか。
ただ、「あの人はあの人でいい生き方をした」「いろいろ大変なこともあったけれど、あの人らしい人生だった」といわれるような生き方は、その人にしかできない。それも、1つの「高尚なる生涯」といえるのではないでしょうか。
ライフワークとは、生涯をかけて、人生のテーマを持って続けることがらのことです。その結果として、自分は何をしたかを残すことができる。
そして、次世代に引き継ぎ、つないでいけるような人生をまっとうすることができる。それが本当のライフワークではないでしょうか。
50代に求められる「ライフコンシャス」な生き方
ワークも、辞書で調べると、「(ある目的を持って努力して行う)仕事、労働、作業、努力、勉強、研究/(なすべき)仕事、任務、務め」といった意味が出てきます。
要は、自ら動いて力を発揮する行為をいうのでしょう。
日々の生活でのワークが、生涯を通じての人生のワークにつながり、次世代に残すワークとなる。「生活」「人生」「生命」のいずれにもつながるワークを見つけることができていたら、それを天職というのでしょう。まさにライフワークの理想像です。
その天職は、本連載が読者として想定する40〜50代の世代の場合、「公」の領域に属することになるでしょうが、「私」の領域にあるかもしれませんし、「公」と「私」の両方に属するかもしれません。
人間は誰しも、世界の動きという空間軸と、時代の流れという時間軸が交わるところに生きています。ポストコロナの社会では、そのいずれもが大きく変化しようとしています。現代はいわば、海図なき時代といってもいいでしょう。
久恒 啓一
多摩大学大学院客員教授・宮城大学名誉教授・多摩大学名誉教授