オンライン授業のほうが「生徒の意識」が高い傾向
通常、リアルの大教室での授業は、100〜200人の学生を前にして講義を行うため、教員1人対学生n人の「1対n」の関係性で進められます。そのn人は、前列に座っている学生の顔は大きくはっきり見えますが、後方に座っている学生の顔は小さく、授業中にスマートフォンの画面をのぞいていても教壇からはわかりません。また、1対nの関係性なので、顔と名前が一致しません。
これに対し、Zoomの画面上では、すべての学生の顔が同じ大きさで映し出され、しかも、名前も表示されるので、顔と名前が一致するようになります。たとえていえば、全員が最前列に座っているような感じです。逆に学生たちも全員、教員との距離感が同じになります。
そのため、教員が顔を見ながらある学生を指名して質問することもできれば、逆に学生も教員に質問することもでき、それぞれの質問に対する答えを全員が聞いているという具合に、緊張感が双方に生まれます。オンライン授業では、教員はn人の学生を相手に講義しているのに、n人のそれぞれと「1対1」の関係性が生まれるのです。
また、リアルの授業では、終了後に感想や意見を紙に書いて提出してもらっていましたが、Zoomでは、終了後に学内のシステムを使って、一定時間内での提出を求めることができます。紙に書かせると、一行しか書いてこない学生もいますが、「XX文字以上」と設定することが可能で、学生もある程度内容のある感想や意見を送ってくるようになりました。
このように、リアルの教室での授業では、学生は1対nの関係性のなかでの「n分の1」の存在で終始するのに対し、オンライン授業では1対1の関係性のなかでの「1分の1」、すなわち「個」の存在として、参加意識や当事者意識が求められます。
同じように講義を行う教員の側も、「個」の存在としての学生と向き合う責任感と当事者意識が求められるようになる。これは、オンライン授業を始める前にはまったく想定しなかったことで、大きな発見でした。
そして、この関係性の変化によって、一人ひとりの「個」としてのあり方が問われるようになることを予感しました。
Web会議システムがもたらした「民主主義」
Web会議は、私が参加する研究会の打ち合わせなどでも多用しましたが、対面での会議とは大きく違った世界が展開されることを実感しています。
Zoomを使った会議では、参加者が映し出される画面は全員同じ大きさであり、フラットな関係性になります。Zoomの画面上では、役職上の違いなどは関係なく、誰もが同等に発言する権限を持っていて、その発言に参加者全員が耳を傾ける世界が生み出されます。
そこでは、誰がどのような発言をしたかが問われる。
同じような現象は、企業のWeb会議でも生じたのではないでしょうか。
対面での会議では、参加者は役職順に着席し、役職の上位者がその発言の内容にかかわらず、強い発言力を持つ。いわゆる、「鶴のひと声」はその象徴でしょう。
これに対し、Web会議の時空間では、役職に関係のないフラットな関係性が現出するため、優れた発言に参加者の耳目が集まり、その発言者が実質的に会議をリードできる。
役職上位者の「鶴のひと声」はあまり影響力がない。Web会議では、リーダーシップのあり方が変わる可能性があるのです。
Zoomの世界では、役職の上下ではなく、賛同者や共感者の多い少ないが判断の基準になる。その意味で、Zoomに代表されるウェブ会議システムは「民主主義の技術」といえるでしょう。