國枝正人氏

医師として働きながら、政治に積極的に参加するため議員として活動する人もいる。「世のため人のため」という基本理念に共通するものを感じての行動かもしれない。では、医師として多忙を極めるなか、どのように政治活動に取り組んでいくのか。区議会議員を兼務していた経験のある歯科医師の國枝正人氏に、政治と歯科業界との関連性などを交えて紹介してもらう。

妻の反対を押し切り出馬へ

しかし、妻は選挙に出馬することを嫌がりました。なんとか押し切り、結婚して2年目の2007年に無所属で文京区議会議員選挙に立候補しましたが、落選。この時妻はもう、今後立候補はしないと思っていたのではないかと思います。

 

落選後も政治への興味を失っていなかった私は、2011年の選挙に向けて、秘密裏に政党公認などの行動を進めていました。

 

その後、2011年の1月に「みんなの党」の公認が出た際も、「政治家の妻は嫌だ」と理解は得られませんでした。

 

当時は、選挙などの手伝いはしない、させないが基本で、あまり迷惑はかけていないという意識でいましたが、今考えれば申し訳なかったと思うこともあります。それと同時に、自由に行動させてもらえたことに感謝しています。

 

身近な理解者の母親からは、なるべく開業医としての仕事を疎かにしないことが活動の条件でした。当時、診察は平日朝の10時~夜の10時までと長かったですが、診察の予約時間を調整したり、早朝や深夜の時間を活用したり、もちろん週末を利用して活動を続けました。しかし、地方議員を目指す人間の活動量としては圧倒的に少なかったとは思います。

悲願の当選、子宮頸がんワクチンの積極接種に反対

そのような状況でしたが、2011年4月の文京区議会議員選挙に、再び負け戦覚悟で立候補しました。3月の東日本大震災直後、人々の不安や自粛ムードの中での選挙戦でした。

 

選挙前や、1週間の選挙期間中の前半は演説も上手く出来ませんでした。しかし、繰り返し演説文を頭の中で叩き込み、自身の特徴である開業医である事の経験や健康政策を訴えました。そして、党の支持の高さもあり、選挙スタッフにも恵まれ、ついに当選することが出来ました。2001年に歯科医院を開業後、約10年後のことでした。

 

我々みんなの党会派は、多くは自民党公明党を中心とする与党と足並みを揃えましたが、時として反対側に回ることもありました。

 

例えば、子宮頸がんワクチンの積極接種に私は反対しました。接種に対する知識がない小学生や中学生に積極的勧奨を求める姿勢の違和感、子宮頸がんは性的交渉の際にHPV=ヒトパピローマウイルス由来で発症するというエヴィデンスであるなら、男女への性教育の充実も同時に行うべきと主張しました。議会内では積極的勧奨の反対派は少数だったので、私の意見は通りませんでした。2011年の出来事でした。

開業医との両立

選挙に当選後も、当然のように開業医としての診療は行っていましたが、それを不思議に思う方も多かったです。議員は「みなし公務員」なので歯科医業に限らず他の職との兼業は禁止されておりません。文京区の議会は、ありがたいことに予定通りのスケジュールで進行することが多く、診療の多くを予約制で行っている私のクリニックでは、大きなトラブルはありませんでした。地域の患者さんからご意見をいただくことも多く、大切な有権者と捉えることで、丁寧な診療を心掛けるようにしていました。

 

正直、クリニックの売り上げは落ちましたが、行政から十分と言える報酬もいただいていたので、ありがたく売り上げ減の補填とさせていただきました。

区議会や文京区には拘らず

議員職を離れた今、また政治の世界に戻るのか聞かれることもありますが、今後10年は立候補しない予定でいます。診察と、歯科医師会の仕事で下積みをしようかと。

 

クリニックにCTレントゲンなどの設備投資をしたので、暫くは診察に集中します。そしてボランティアで歯科医師会の政治団体、歯科医師連盟の仕事をお手伝いするなどして、文京区の自民党、公明党とは交流を続けるつもりです。

 

その後また社会のルール作りに携わりたいと思いますが、区議会や文京区には拘らずにやっていくつもりです。

 

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