「テレビ局でカメラマンとしてバリバリ働いていた夫は、突然難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した」……松本しほり氏は書籍『ALSと闘った日々』のなかで、当時の闘病の様子を赤裸々に記しています。

善一さんの口から絶対出るはずのない言葉が零れ落ちた

その人は60歳くらいで、杖をつき、リズミカルな動きではないにしても、黙々と着々とその広場を回っていた。未央を草原で遊ばせながら、私は見るとはなしに、その人と善一さんの動きを比べてしまっていた。

 

明らかに足が悪く、杖をつきながら歩くその人のほうが、善一さんより健康そうでスイスイと歩いているように見えた。それほど善一さんの足は、傍目にも痛々しいくらいぎこちない動きしかできなくなっていたのだった。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

周囲のすばらしい景色を眺める余裕もなく、ただ足元を見つめ、黙々と30分くらい歩いた善一さんは、「疲れた」と言って、車を近くまで持ってきてほしいと私に言った。

 

車に座った善一さんは、開口一番、「あれくらい歩ければいいよな、充分なのにな」と先ほどの杖の老人のことを言った。

 

以前の善一さんの口からは絶対出るはずのない言葉だった。私はそのつぶやきに、善一さんの深い絶望の片鱗を感じたのだった。

 

けれども、こんな天気の良い日、こんなに景色の良いところには、絶望の言葉は似合わない。

 

「リハビリ頑張れば、すぐあれくらいに戻れるよ」

 

私は、あてもないことを妙に元気良く話しかけたが、善一さんの返事はなかった。

 

「なんだか夢を見ているようだ」と善一さんは時々言ったものだった。そして私も。

 

ずいぶん長いこと、これは夢、悪夢なのではないか、明日の朝になると何もかも元通りになるのではないかと、ずいぶん甘い期待をしていた。

 

けれども、いつまで経っても、誰もこれが夢だったとは言ってくれなかったし、善一さんの足は治るどころか、日に日に悪くなり、退院して半年後には、平坦な道さえも、ゆっくりゆっくり、人の何倍もの時間をかけて、慎重のうえにも慎重に、そろりそろりと歩かなければならなくなり、その次は壁や塀に片手をかけて用心しなければ、前に進むことが怖くなるくらいになってしまったのだった。

 

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松本 しほり 
1956年3月、長崎県佐世保市生まれ。
神戸市外国語大学英米学科卒業。
OL、英語教師、学習支援員を経て、現在は日本語教師として勤務。
佐世保市の学習支援ボランティア、佐世保市のウェルカムサポーター(大型客船来航時の通訳ボランティア)としても活動。
日本ALS協会会員

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『ALSと闘った日々』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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