50代男性「せんせい、ぼくのびょうきはなおりますか?」モニター越しに伝えた心の底の絶望

50代男性「せんせい、ぼくのびょうきはなおりますか?」モニター越しに伝えた心の底の絶望
(※写真はイメージです/PIXTA)

作業療法士として働いていた筆者は、自宅でケアを受ける50代の男性に出会います。絶望し、思い詰めていた彼でしたが、家族の献身により病状が好転。周囲の愛情と本人の希望、そして在宅でも「リハビリ」ができるなら――。介護産業の現状について、自身も作業療法士であり、在宅ケアサービス会社を運営する筆者が解説します。

愛する人の献身的な介護が悲痛な思いを希望に変える

私はこの家を訪問することが苦痛になってしまいました。

 

それでも私はできるかぎりのリハビリを施術して、その日以降もその家に通っていたのですが、それからはしばしば「しにたい」の文字がモニターに浮かぶようになりました。とはいえ私にはリハビリ以上のことはできないので、もくもくと役割を果す日々を送りました。

 

ところがそんなある日、座る訓練を行ったところ、この方は初めて座った格好になれたのです。

 

その瞬間、隣にいた奥様の目からぽろぽろと涙がこぼれました。その涙を見たご本人も、顔をくしゃくしゃにされて声にならない声で号泣されました。

 

私も込み上げてくるものを堪えることができませんでした。涙をこぼしながら、それまで最も大切なことを見落としていたことに気づいたのです。

 

それは利用者を「愛する者」の存在とその思いです。

 

奥様は、たとえご主人様がどんな状態になろうとも、命ある限りは――と、そんな思いで献身的な介護をされていたのでしょう。

 

またこの方も奥様の涙を見て、「つらかったのは自分だけではない、妻も一緒に苦しんでいたのだ」と気づいたのでしょう。自分に対する深い愛情を確認し、自分自身の存在と役割に気づかれたのだと思います。

 

それ以降、この方のモニターからは一切「しにたい」という文字は見られなくなりました。

在宅のリハビリは高齢者向け…インフラは未整備状態

愛してくれる人の存在や自分を理解してくれる人の存在は、なによりも生きる希望につながる大きな力です。

 

そのことに気づいたとき、私の目の前にもぱっと光が差しました。

 

そういう存在とともに利用者がリハビリに打ち込める環境。それが在宅の意味だ。

 

しかし当時、在宅のリハビリは高齢者を対象としており、彼のように若く重度な方を受け入れるインフラは未整備でした。私は一生の仕事として、在宅ケアの発展に携わっていこう。そう思うに至ったのです。

 

その日以降、私は利用者と対峙するときは、その方を愛している人の存在と思いを感じながら、その思いを伝えるメッセンジャーとなることを心掛けるようにしました。

 

目の前の利用者を愛する者の思いを想像しながら、向き合っていくことが大切だということを心に刻んだのです。

 

 

二神 雅一

本物ケア

本物ケア

二神 雅一

幻冬舎メディアコンサルティング

「寝たきり」や「リハビリ依存」の高齢者。必要以上のサポートを行う過度な介護が、高齢者から身体機能回復のチャンスを奪い、自立を妨げているのです。 20余年にわたり介護業界で活躍してきた著者が掲げる「本物ケア」は、…

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