3つの幼稚園と6つの小学校、14歳で中学を中退
このように、プログラミングとは、他の誰かが先に作り上げたアイデアを自分のニーズに合わせて少しずつ改変して適応させていくことです。これは文章を書く行為に似ています。たとえば、文章を書く前には関連するあらゆる資料を読み込んでから書き始めます。だから、自分がオリジナルで作り出したものは自分自身の視点という部分だけです。使っている単語はそもそも辞書の中にすでに存在していたものですし、私たちがゼロから作り上げたわけではありません。
もちろん、新しい言語を創造することは可能でしょう。しかし、自分が創り出した言語と現在私たちが使っている言語をリンクする方法を考え出さなければ、創造させる意味がありません。リンクさせなければ、新しい言語を学ぶ方法も翻訳する手立てもないからです。自分一人だけしか使えない言語を創っても、他言語との間でコミュニケーションを図れなければ、言語として存在する価値はありません。
「プロジェクト・グーテンベルク」では、そのようにみんなでプログラムをより良いものにしていくという面白さも学びました。この「プロジェクト・グーテンベルク」との出合いが、私にとってすべての始まりになりました。人種や国籍、年齢、性別もわからない誰かと目的を共有する中で、私は自らの居場所を見出すことができたのです。
14歳で学校を離れ、ネットで自主学習を始める
私は生まれつき「心室中隔欠損症」という心臓の病気を持っていたこともあり、体が弱く、感情が高ぶってしまうと顔色が紫に変色して、卒倒してしまうこともありました。身体的に怒るということができず、学校での集団生活になじむことができませんでした。小学2年生のときにはいじめに遭ったこともありますし、私自身の性格的な問題もあって、学校でうまくいかないことも多く、その都度転校をしました。
その結果、私は3つの幼稚園と6つの小学校に通いました。中学校には1年間だけ通いましたが、最終的には14歳で中退することになりました。
14歳で学校を離れる前、私は家族の同意を得て台北市郊外の烏来に行き、静かな環境で過ごしました。そこでこれからどうするかについて一人で考えたのです。当時、私は全台湾の小中高生が参加する「全国中学生科学技術展」というコンクールの応用科学部門で一位を取っていて、自分の好きな高校に無受験で進学できる権利を得ていました。当時行きたい高校がなかったわけではないのですが、私はすでにインターネットを利用して自らの興味に従って研究を進めていました。
当時、私が研究していたのはAIやAIの自然言語処理に関する最先端技術でした。その研究過程で多くの研究者と出会い、インターネットを介して対話をしていました。そのため、学校の授業で学ぶ内容がウェブで学べる最先端の知識よりも10年ほど遅れていることにすぐ気づきました。それならば学校へ行くより、直接ウェブから学べばいいのではないかと考えるようになったのです。
その頃の友人は皆、私よりも5歳から10歳も年上でした。そのため、それぞれ違った人生の提案をしてくれました。「高校に行くべきだ」と言ってくれた友人もいれば、「海外に行くべきだ」とアドバイスしてくれた友人もいました。意見はバラバラだったので、一つに集約させるのは難しく、私は皆に「もらったアドバイスを参考にするから」とだけ告げました。