事業承継の際に発生する「贈与税」に頭を悩ます社長
熊田武雄はベッドの上でもだえた。
30年ぶりの休みだからせいぜいゆっくり骨休めさせてもらう。入院時には看護師にそううそぶいてみせたが、することもなく寝転がり天井を見上げる日々が三日続くともうダメだ。ひたすら退屈だし仕事のことが気になってならない。
(荷崩れを起こして俺の脚をへし折った資材は、昨日が納品日だったはず。きっちり指定通りに仕上げて得意先に送ったのだろうか)
息巻いてみても、個室の病室では聞いてくれる者もいない。窓辺に生けられたチューリップくらいか。昨日見舞いに来てくれた孫の雄太が置いていったものだ。
「気が利かねえな。持ってくるなら焼酎だろう」
そう毒づいてみたものの、後でちょっと泣きそうになった。武雄はチューリップが好きなのだ。地べたから天を目指して真っ直ぐに伸びるところがいい。孫にそんな話をしたことがあっただろうか? 雄太はそれを覚えていてくれたのだ。
長男の雄一は父親に似ず一流大卒だが、どこか冷たいところがある。しかし孫の雄太は頭がいい上にハートも熱い。昼過ぎにヒョッコリ顔を見せた友人の亀山源太郎に武雄はそう自慢した。
「熊田メッキの次期社長は決定だな」
源太郎が相づちを打った。定年退職して暇なのか、三日に一度は顔を見に来てくれる。
「いや、次期社長は次男の雄二に決めてるんだけどな」
「それじゃあ、これを機にもう引退しちまえよ」
カラカラと源太郎が笑う。
「ところがそうもいかないんだ。実はその次男への事業承継がうまくいかなくてな」
武雄は、このところ頭を悩ませている相続について友人に打ち明けた。
税に無頓着なサラリーマンの源太郎と違って、事業をやっている武雄は自分の資産や課税リスクについてしっかり把握している。熊田家の資産は2億5500万円ほどだが、そのうちの2億1000万円は熊田メッキ工業の株式だ。雄二に事業を承継するためには、この株式を丸ごと譲ってやる必要がある。
ただし、いきなり贈与すれば多額の贈与税がかかってしまう。節税しながら、相続させるしかないが、ここで問題になるのが、長男の雄一と、姉である長女、恵子の存在だ。
株式をすべて雄二に相続させたら、彼らの相続分はごくわずかしか残らない。とはいえ、分割して雄一や恵子に株式を相続させると会社の経営に口を出す権利を持つことになる。
「雄一も恵子も、本当に俺の子かと疑いたくなるほど頭の出来がいい。だがその分、冷たいっていうのか、とにかくうちの社員とは合わない。変に理詰めで経営に口を出されたりしたら、会社は空中分解しちまうよ」
「不公平は仕方がないものとして、遺言書で株式はすべて雄二くんに譲ると指示したらいいんじゃないのか」
「それでも遺留分が残るだろう? あの二人の場合は相続財産の12分の1だから、2000万円ちょっとだ。雄一と恵子で4000万円以上にもなる。うちにそれだけの現預金はない・・・」
源太郎がニッと微笑んだ。
「それが解決できたら、うれしいか?」
自分がいなくなった後——次の次の承継はどうなる?
源太郎が帰った後、武雄は彼が置いていったメモを何度も眺めた。Y相続センターというところの電話番号らしい。相続のプロがいるとのことだった。源太郎自身もそこに頼んで相続対策を工夫している真っ最中なのだとか。
とはいえ、うちの会社にも頼んでいる税理士はいる。会社の税務と相続の税務はまったく別と源太郎は言っていたが、誰の受け売りなのだか。ベッドに坐って考え込んでいると、作業着姿の雄二が現れた。
「親父、寝てなきゃダメって、医者にも言われてるだろうが」
「大人しくしろと言われただけだ。だから酒も飲まず、会社に電話も入れていない」
「俺の脚をへし折った資材は送ったかって電話したろう? 会社は俺がちゃんと見てる。いい加減信頼してくれ」
眉間にしわを寄せてしゃべる姿は、武雄とうり二つだ。毎度の親子喧嘩に遭遇した看護師が思わず吹き出したこともある。そんな雄二だが、若手社員に対してはいつも丁寧にしゃべる。昔はワルだったくせにと武雄はおかしくなるが、もしかして親よりも大人なのか。
話題を変えたくて武雄は孫の名前を出した。
「祐希は来ないのか?」
「あいつ、今日も来てないのか?」
雄二が舌打ちする。
「おかしいな。ここに行くって言うから家から出したらしいのに。またワル仲間とどこかに行ったのか」
祐希は雄二の一人息子だ。先週、喫煙がばれて高校を停学になり家で謹慎中のはずだ。
「タバコのことは俺もとやかく言えないが、ジジイが入院してたら一度くらい顔を見せるのが情ってもんじゃないのか。俺やお前もワルだったがそういう気持ちだけはあったぞ」
雄二が頭をかく。
「面目ない。嫁が猫かわいがりで育てちまったから」
「ちょっと、私だけが悪いみたいに言わないでよ」
いつの間にか病室の入り口に雄二の嫁の真衣が立っていた。
「やめんか、病院で」
武雄がうなると、ようやく二人とも口をつぐんだ。
息子夫婦が帰った後、武雄はまた天井を見上げて考え込んだ。妻や息子に手を焼くようでは、雄二に会社を預けるのはまだ不安だ。とはいえ、あと数年あれば立派に経営者としてやっていけるだろう。もともと人あしらいはうまく、社員に好かれる優しさがある。
だがその先は? 雄二の次は誰が熊田メッキを継いでくれるのか。順当に行けば、雄二の息子である祐希だろうが、素行だけでなく心の有り様にも問題が大きそうだ。
熊田メッキは彼にとって自分のすべてを注ぎ込んできた存在だった。泥臭い言葉で言うなら、まさに血と汗と涙の結晶である。その行く末には強い懸念があった。
次の次と目している祐希にはハートが欠けている。こればかりは教えてどうなるものでもない。あの子が継げば会社は確実につぶれるだろう。雄二の次は祐希ではなく長男の息子の雄太に継いで欲しい。あの子なら、より大きく成長させてくれるという期待が持てる。
だが、雄二から次へとバトンタッチする時には、自分はもうこの世にいない可能性の方が高い。いや、その前にまず雄二への承継すらどうすればいいのか。
「一度、相談してみるか」
武雄は源太郎にもらったメモを取り出した。