「結果の平等」か「機会の平等」か
低所得層の人たちは、国の経済成長からどうしても取り残されがちです。国自体は経済成長を遂げているとしても、その恩恵を受けるのが高所得層の人に偏っていれば、所得格差は拡大することになります。
本来であれば、低所得層にも経済成長の恩恵がもたらされるのが理想であり、そのような現象を「トリクルダウン効果」と呼びますが、現実にはそのような効果はほとんど働かず、所得格差は世界中でむしろ拡大する傾向にあります。
[図表1]のターゲット1(各国の所得下位40%の所得成長率が、国全体の平均値を上回るようにする)は低所得層の所得を、少なくとも国全体の成長率と同じように成長させることで格差の拡大を抑えようとするものですが、もっとも所得の高い1%の層(つまり、超富裕層)の出現によって所得格差の拡大はむしろ深刻になっているのが現実です。
1990年代の日本では、「結果の平等」か「機会の平等」かという論争が起こりました。「結果の平等」とは所得に大きな差をつけないということですが、これを確保しようとすると、より多くのお金を得ようとする機会は制限されることになります。
それに対し、日本経済がバブル崩壊後、立ち直れないのは、「結果の平等」を求めるあまり、ビジネスチャンスが過剰に奪われていることが原因であり、アメリカのように「大金持ちになる機会」を認めるべきだというのが「機会の平等」を求める人の言い分でした。
そして次第に「機会の平等」こそが本当に追求すべき平等であるという声が優勢になり、所得格差の拡大が容認される社会へと変わっていきました。1960年代の高度成長期には所得格差が縮小し、平等と成長を同時に達成した国として知られていた日本は、気がつけば立派な「格差社会」になったのです。
1990年代以降に生まれた若い人にとってはもはやそれが当たり前で、日本は「不平等な国」というイメージのほうが強いのではないでしょうか。貧困の原因は単に本人の能力が欠けているとか、まじめに働かないという本人の問題(つまり、自己責任)ではありません。本当の原因は社会から排除され、まともに働く機会を奪われていることです。
そこで、それまで排除されていた人たちを社会の中に取り込むこと、つまり「包摂」によって根本的な貧困対策を図ろうというのが[図表1]のターゲット2(年齢、性別、障がい者、人種、民族、生まれ、宗教、経済的地位やその他の地位に関わりなく、すべての人々のエンパワーメントを図り、社会的・経済的・政治的な「包摂」を促進する)の考え方なのです。そして[図表1]のターゲット5(世界金融市場と金融機関に対する規制とモニタリングを改善し、こうした規制を強化する)はコーヒーとも重要な関わりがあります。なぜならコーヒーの世界市場は、1997年以降、投機資金の流入により乱高下を繰り返してきたからです。
コーヒー価格を低迷させることで利益を得ようとする動きもあり、その結果、コーヒー生産者の貧困化が深刻になっています。このような投機資金は健全なコーヒー市場にとって有害であり、それを規制すべきだという議論が行われていますが、未だ解決をみてはいません。
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