(※画像はイメージです/PIXTA)

他人より優位に立ちたいという欲求、言い換えると「相対的ニーズ」には限りがありません。このニーズによる経済の牽引は可能ですが、環境・資源といった問題が全地球的な懸念となっている現在、もう許されることではないでしょう。嫉妬・羨望を生むあざといマーケティング、それで成り立ってきたディストピアについて見ていきましょう。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

ポトラッチという「ゲーム」の勝者の末路

このような経済のあり方はポトラッチを想起させる状況です。ポトラッチとは、文化人類学者のマルセル・モースが1925年に著した『贈与論』において紹介した、主にアメリカ先住民のあいだに見られる一種の儀式です。

 

この儀式において、部族の酋長たちは「どちらがより多くの財産を蕩尽できるか」を競うことでお互いの立場の優劣を決めます。つまりポトラッチというのは、より気前よく、より大胆に財産をばら撒き、破壊した方が勝つという「ゲーム」なのです。

 

当然ながらポトラッチには酋長のメンツがかかっていますから「蕩尽の応酬」はつねに過熱することになり、最終的には自分の家畜や奴隷をその場で殺害するような事態にエスカレートすることがしばしば起き、業を煮やしたカナダ政府は1885年に法律でポトラッチを禁じてしまいます。

 

現代の文明世界におけるポトラッチがどのようなものか、なかなか想像できないかもしれませんが、映画には、このような「異常蕩尽」がしばしば印象的なシーンとして描かれています。

 

たとえばかつてはロバート・レッドフォードが主演し、近年、レオナルド・ディカプリオの主演によってリメイクされた「The Great Gatsby」の冒頭のパーティーシーンは、これこそ文明社会におけるポトラッチだ、と思わせるものですし、同じくレオナルド・ディカプリオの主演になる「The Wolf of Wall Street」には、ウォール街で大成功した実在の投資銀行家、ジョーダン・ベルフォードのまさにポトラッチ的で破茶滅茶なライフスタイルを描き、それがあまりにも倫理的に常軌を逸したものだったので日本ではいわゆる「18禁」になってしまいました。

 

こういった情景を私たちが楽しむことができるのは、映画の観客という「傍観者の立場」にいられるからであって、実際に当事者として、このような奢侈によってしか経済を保つことができない社会、ひたすら破壊的消費が礼賛され、蕩尽のレベルによって社会的な立場の優劣が決定される「ポトラッチが常態化した社会」で生きていかなければならないのであれば、それは地獄としか言いようのないものでしょう。

 

そのような世界にあって「優劣のゲーム」の勝者になれるのは、原理的にピラミッドの最上層にいられるごくごく少数の人々でしかありません。このような「ポトラッチが常態化した社会」はディストピアとしか言いようがありません。

 

 

山口周

ライプニッツ 代表

 

 

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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