楽観視していた、母の「胃がん疑い」だったが…
退院後の母は、それなりにリハビリも頑張っていましたが、やはり体調が優れない日もあり、動かないでいることも多かったようです。
胃の病変は、私もあまり気にしていませんでした。なぜなら前々年に胃壁の肥厚化の際に行った検査だけでなく、頸髄腫瘍の摘出手術の前にもPET検査と胃カメラもしていて、やはり異常は認められなかったからです。
リハビリ病院を退院してから歩行困難を来していましたが、それは手術の影響だろうと考えていました。
夏ごろから食欲減退が加わり、以前のように痩せてきました。こちらも頸髄腫瘍の摘出手術の後遺症のようなものだろうと思い、リハビリをしていけば元に戻るだろうと思っていました。
しかし、これはあとから考えてのことですが、あまり食事が取れなくなった時期に、母の胃がんは一気に進行した可能性があったのです。
胃壁の肥厚化から食欲不振、手術後にも同じような食欲減退があって体重が落ちてきている。こうした状態だけを見れば、胃がんを疑うべきだったのです。
ただ、検査によって「白」と判定されたことが、その疑念を起こさせなかったともいえるでしょう。
退院して1年が経った2014年4月、ひどい下痢が続いたため、検査を受けます。すると、エコー検査によって腹水が認められました。すぐに精密検査を行ったところ、ここで初めて胃がんだということが判明したのです。
スキルスがんであり、腹膜播種(ふくまくはしゅ)が認められると診断されました。これはがん細胞がおなかのなかに種を蒔いたように散らばったため、腹水が溜まるという症状を伴います。また、もともと持病として抱えていた、肺の感染症である菌に侵される非定型抗酸菌症も指摘されました。
胃がんについては、手術はできないと判断され、以後、通院しながら抗がん剤による治療が始まったのです。
このときの父の思いはどのようなものだったのか。実は、尋ねたことがありません。
この精密検査の際にも母は1ヵ月以上入院したため、このあいだは以前と同様に父と私との生活になりました。
夜の診療が終わると父を連れて夕飯に出かける。そのような毎日です。ですから、父としては母のいない寂しさはあったにせよ、私との付き合いが濃くなって、それはそれで満足だったのかもしれません。
検査入院を終えた母は、抗がん剤治療が始まるのですが、副作用で手の皮膚がただれ、あかぎれ状態になったり、手指のしびれが続き、手の感覚がなくなりました。そんなときは、手にクリームを塗ってはテープを巻いて保護し、治療の援助をしました。
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