自宅で老親の介護をするのは大変ですが、介護される側から見ると、大きなメリットもあります。入院すれば、患者は常に「アウェイ」な場所に置かれますが、自宅はホームグラウンド。普段の暮らしを保ちながら医師と接することができるのです。在宅医である筆者が、自身の両親の介護や看取りの経験を交えながら、自宅で介護をする家族が抱える問題や悩みを、どのように解決したのかを紹介します。

父は「他人の世話になりたくない」と…

私が在宅医の仕事に奔走しているあいだにも、両親の介護生活は続いていました。

 

母は頸髄腫瘍のため身体が不自由で、基本的にはずっと家のなかで生活していました。父のほうも母の介護のために家にいることが多かったのですが、身体は元気だったので、この時期にはよく散歩に出かけたりしていました。

 

ただ、やはり日常生活に支障を来すこともありました。動くのがつらいのか、動作が鈍くなってきたのです。私が実家に戻ってしばらくしてから、ヘルパーさんにも介護に入ってもらいましたが、特に父が「他人の世話になりたくない」と言うので、来訪の頻度をそれほど多くすることはできませんでした。

 

そして、私のほうも前述のように医師の仕事が多忙を極めていたことで、付きっきりで介護をするのはどうしてもできなかった部分があったのです。

 

そのため、食事については、調子のいいときには母が作り、私に余裕があるときにはそのお手伝いをしていました。ただ、たいていは買い置きした食材や缶詰を使うだけで、以前のように母が本格的に料理をすることはありませんでした。

 

食事の内容については申し訳ないという気持ちもありましたが、まだ母が動けるうちは作ってもらうことも一つの手段だと思っていました。

「認知症といわれているけど、まだまだ元気やからな」

ただ、介護認定を受けて、介護保険によるサービスを受けるようになってからは、ヘルパーさんに週の何日かは介助をお願いするようにもなりました。

 

例えばヘルパーさんに晩ごはんを作ってもらう日を設けるようになったのも、介護保険を利用したあとからです。食事だけでもきちんとしたものを食べてもらったほうが身体にもよいというのは当然ですが、日々の楽しみにもなるかと考えていました。ただ、病気のせいなのか、両親ともに「食」に対しての関心は薄れていたようです。

 

父のほうは、自身で認知症だと認識していましたが、「認知症といわれているけど、わしはまだまだ元気やからな」と快活に話していたものです。医師ですから、病気についてはよく知っているのです。出された薬はすべてきちんと飲み、少しでも症状が進まないように気を使っていました。

 

ただ、周りの人に知られるのは嫌だったようです。これは認知症がまだ「痴呆症」や「ぼけ」と呼ばれていた時代の印象が強く、医師でありながら病気にかかったということを、どこかで恥ずかしいと感じていたのでしょう。病気だから仕方がないのですが、父を見て少し同情する気持ちはありました。

 

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48歳、独身・医師 在宅介護で親を看取る

48歳、独身・医師 在宅介護で親を看取る

佐野 徹明

幻冬舎メディアコンサルティング

開業医である父が突然倒れた。父の診療所を継ぎ、町の在宅医としてそして家では介護者として終末期の両親と向き合った7年間。一人で両親を介護し看取った医師による記録。

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