今後も大病院に勤務したいと思っていたが…
私は2009年、両親の介護のために大学病院を辞め、父のあとを継いで開業医になりました。15年前の1994年に医大を卒業したあと、大学病院の血液内科医として主に白血病診療や骨髄移植などの臨床経験を積み重ねてきました。最新の抗がん剤や治療法を駆使して難病と闘う仕事にやりがいを感じていましたし、これから先も大きな病院で勤務したいと思っていました。
一方、私の父は数年前に認知症を発症。母も頸髄腫瘍の後遺症があり、いわゆる「老老介護」状態で互いの面倒を見ていたのです。そうした状態にあることは、私も以前から知っていましたが、それでもなんとか二人で生活を続けていたため、どこかで「まだ大丈夫だろう」と思いながら過ごしていました。
ところが、いつの間にか父の症状は進行し、いよいよ患者さんへの診察や治療に影響が出かねないという状況となり、両親から実家に戻るよう懇願されたのです。
正直にいえば、父のあとを継ぎ、町の開業医となることに躊躇がなかったわけではありません。しかし、両親の状況を考えれば、断ることはできませんでした。
そうして私は、実家の内科クリニックを継ぐことになりました。昼は医師として地域の患者さんの治療に当たり、朝と夜は介護者として両親の面倒を見るという、新たな生活をスタートさせました。

病気や制度を熟知する医師でも、介護は大変
私は医師ですから、当然両親の病気に対する処置も分かっていましたし、在宅介護や在宅医療の制度についても知識をもっていました。それでも、初めての介護には戸惑いや苦労がありました。常にそばにいて食事の支度から着替え、入浴といったすべての世話を両親の希望どおりに行うような「完璧な介護」ができたかといわれれば、必ずしもそうではありません。
仕事から帰ってきたら母が廊下で倒れていたこともありましたし、父のために弁当を買って帰っても「食べたくない」と突き返されたこともあります。
そうした経験のなかで気づかされたのは、介護する側とされる側がお互いにどうしたいのかをきちんと話し合い、それぞれの家族に見合った介護のかたちを見つけることの大切さでした。
日本では、高騰する医療費の抑制や病床の確保といった政府の方針、また介護を受ける本人の「最期を自宅で迎えたい」といった希望により、在宅介護を受ける高齢者は年々増加しています。「病院から在宅へ」という流れは加速し、在宅介護の制度の拡充も図られています。
一方、在宅での介護者である家族には、こうした制度は複雑で難しく、なかなか活用できていないのが現状です。また、介護に充てる時間を十分に確保できているともいえません。
誰しも仕事をしていると介護がおろそかになることもありますし、24時間付きっきりで見ることは困難です。家族が死に目に会えないこともよくあります。ときには失敗や後悔もあるでしょう。
それでも、十分に話し合った結果「やり切った」と思えることが、介護する側とされる側のどちらにとっても大切だと私は思うのです。
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