デジタルは「民主主義」という社会の方向性を変えない
デジタル技術は社会の方向性を変えるものでは決してない
台湾のマスク対策は、政府と人々の信頼関係をベースにしてデジタルを活用することによってうまくいきました。この成功にデジタルが大きな威力を発揮したことは間違いありません。今後、社会の様々な場所でこのような現象が見られることになるでしょう。デジタルを有効的に活用することで、私たちの社会は大きく変化し、進展していくはずです。
しかし、私は必ずしも「すべての面においてデジタル技術を使わなければならない」と考えているわけではありません。
たとえば、新型コロナウイルスを防ぐための最良の方法は、やはり石鹸を使うことであり、二番目に良いのは、アルコール消毒をすることです。これらをデジタル技術で置き換えることなどできませんし、石鹸やアルコール消毒を科学的なテクノロジーに置き換える必要もありません。
しかし、デジタル技術を用いることで、石鹸の使い方をより広く、より早く、人々に理解してもらうことができます。
たとえば、台湾では手の洗い方を教える歌が作られました。この歌をインターネットで拡散するために、デジタル技術を使って可愛いキャラクターを作るのは良い方法ですし、実際に可能なことです。
だからといって、それで社会の方向性が変わるわけではありません。歌やキャラクターは、もともと私たちが持っていた「手を洗う」という習慣を、「もっときちんと洗いましょう」「石鹸も使いましょう」と広めているに過ぎません。その結果、最終的に収斂される情報は「きちんと手を洗いましょう」という、ごく当たり前なものなのです。
その一方で、デジタル技術を使うことで、民間で使われる水の量の変化を知ることができます。この「きちんと手を洗いましょう」という考え方が広まってからは、人々の手を洗う回数が増えました。手洗いの時間が長くなってきたのです。それは使用される水の量が増えていることからも明らかです。
これはデジタルが石鹸に取って代わる技術になったわけではありません。私たちは「みなさん、石鹸で手を洗いましょう」と呼びかけた結果、どれだけ石鹸が使われているかはわかりませんが、「水の使用量が増えている」というデータから、みなさんがきちんと手を洗っていることを推測できるというだけです。
政府はデジタルで社会の方向性を変えようとしているのではありません。私たちも「石鹸で手を洗いましょう」という考えと同じ方向を向いています。ただ、私たちはこれと同じ方向性にいながら、「手を洗いましょう」というメッセージをデジタルによって、より広く、より早く伝えようとしているだけです。
デジタルは「民主主義」という社会の方向性を変えるものではありませんし、デジタルが指し示す方向に人々を向かわせようとするものでもないのです。これは新型コロナウイルス対策に限らず、今、台湾で進められている様々なデジタル化の試みのすべてにおいて断言できることです。