人間の手で記録をする作業がなくなることはない
人間がAIに使われるという心配は、杞憂に過ぎない
このように社会のデジタル化が進むことで、私たちは多くの利益を享受することが可能になります。ネット環境の広がりにより仕事のやり方も変わってきています。たとえば、新型コロナウイルスの感染防止対策として、リモートで仕事をする人も増えました。今ではリモートであっても、それほど問題なく仕事ができるということを、多くの人々が理解しています。今はどこにいても仕事ができる時代です。
その一方で、機械やAIが発達しすぎると、「自分たちの仕事が奪われるのではないか」と心配する声もあります。とくに単純作業が消滅してしまうという懸念から、「ホワイトカラーとブルーカラーの間の経済格差が広がるのではないか」という声も聞こえてきます。
一例を挙げると、AIに作業を覚えさせる「教師データ(teaching data)」というものがあります。これは、「車とは何か」「家とは何か」「道路とは何か」といったことをAIに理解させるために、それぞれの解説を作成してラベリングしていく仕事です。まるで幼稚園の先生のように、この世界のことをあまり知らないAIに二〜三年かけて基本的な知識を教えていくわけです。
このとき、入力などの単純作業は人間が行いますが、その基本的な積み重ねが終わると、あとはコンピュータ自体が仕事を引き継いで行うことができます。
現在のAIは、小学校1~2年生のレベルに達しているので、「これは赤信号」「これは青信号」というような初歩的なことは教えなくてもわかるようになっています。グーグルがたまに「これは横断歩道ですか」「これは車ですか」と聞いてくるのを見たことがある人もいるでしょう。
以前は英単語や数字が表示されて、「入力してください」というメッセージが出ることもあったと思います。現在のAIは英単語や数字を学んでしまっているので、そのような入力の必要はありませんし、「どれが信号機ですか」というような質問をされることもほとんどありません。おそらく「交差点」もすぐに認識するでしょう。
もちろん、最初は誰かがこうした「教師データ」を作成し、ラベルを貼るという作業を行うのですが、こうした仕事は過渡期のもので、ある程度までコンピュータが学んでしまえば、もはや人間が自ら入力する必要はなくなります。そのことを指して「人間の仕事が奪われる」という見方もできるかもしれませんが、そもそもこうした仕事は昔からあったわけではありません。
教師データの入力は、コンピュータあるいはAIによる視覚認識が始まった2015年頃から登場してきた仕事ですから、ここ5年くらいの話でしょう。そう考えると、「奪われる」という表現が果たして適切なのかどうかという気もします。
それに、どれだけAIが進化したとしても、最終的に人間の手で記録をする作業がなくなることはないでしょう。この「記録する」という作業は非常に重要です。データ分析をするにしても、「このデータを参照して最終的な決断をしました」という場合、昔は基本的なことから高度なことまですべて自分たちでしなければなりませんでした。
それが、今は基本的な部分については、AIに任せることができるようになってきたのです。もちろん、最終的な責任は人間がとらなければならないことに変わりはありません。たとえば、本を出版するのなら、編集作業は必要ですし、読者に提供する際に責任を負わなければならないのは人間です。