姑はある時ふと、独り言のようにか細い声で…
その習慣は夫が大人になってからも続いている。夫と父親と直接本音で話し合う場は、今までなかったのだろう。その関係をとりもっていた母親は、良かれと思って仲裁してきた。しかし、その見返りは、自分の意見を伝えられず、内向的な人間を作ってしまったのであるまいか。
子供たちにはこういう風にはなって欲しくないと一つの信念がありそれが私を支えてきた。息子は男だ。男ならばもっと自分の人生、自分の意志で自由に親の言動に左右されず生きて欲しい。息子が小学校に上がった頃からの私の願いである。
人間に平等に与えられた「時間」。私たちは死ぬまで生き続ける。生きるのが辛い時には、いつかは必ず死ねると思うと、気持ちは軽くなったし、生きるのが楽しくて仕方ない時は、このまま続けば良いと思う。どちらもありだと思う。
長生きすれば、長い時間を、短命だとしても中味の濃い生き方をすれば、それに匹敵するのではないかとも思える。生は死であり死は生である。表裏一体である。私たちは今こうして生きているだけで素晴らしい。
私はこれまでの時間を振り返ってみると、育児について姑と意見が合わずに悩み、本を読みあさり答えを探したことがあったが、これと言う結論は見つけられなかった。そして私は私なりの結論を見出した。
「マニュアル通りでなくても良いんだ。マニュアル通りには行かない。私は私の思った通りの子育てでイイんだ」と言うこと。姑と子育ての仕方が合わないことが、いつしか私流の子育てとなった。姑はある時ふと独り言のようにか細い声で言ったことがあった。
「私の子育ては失敗だった」と。
私はそれを聞いた時、心の花びらが散った。ちょっぴり淋しかった。
子供の躾について、私のやり方で良いのか間違っていないのかと迷ったり、父親不在の淋しさが子供に悪い影響を及ぼさないのかとさんざん思い悩みプレッシャーに押し潰されそうになったこと。
将来のことが一気に不安になり、脱出ができずもがき苦しんだこと。様々なシーンが早送りムービーになって映し出された。