大人は昔みんな子供だった
家から歩いて十分位の所に子供たちの通う小学校がある。一学年一クラスしかなく卒業まで同じだ。のどかな田園風景が広がり豊かな環境に恵まれていた。子供たちがノビノビと体を動かし大きく成長してくれる事が何よりの喜びだった。
子供たちはいつも二人並んで登校した。まだ小学校に入学したばかりの頃は、私は家の門から二人の姿が見えなくなるまで、手を振り見送っていた。子供たちも何度も後ろを振り返り母の姿を見ては手を振り返してくれたのは、昨日の事のように思い出される。小さな背中に背負った大きなランドセルは今では、いつの間にか小さくなった。その子供たちはもう六年生になっていた。
子供の成育は早いなとつくづく思う。大人は昔、みんな子供だった。子供たちを見ながら、私の両親もこんな愛情に満ちた眼差しで私の成長を見守り育ててくれたのだと感動して胸がジーンと熱くなる。
感謝の気持ちが溢れだす。日々、子供の健康状態、心の状態を常に気にしながら時には労いの言葉をかける。また、時には傷口に塩をかけるように厳しく接した。特に息子にはある思い入れがあった。
「夫のようにはなって欲しくない」と言うことだ。夫もかつては子供だった。私は夫の目線から、父と子、そして母と子の関係を考えた事があった。なぜ夫は父親としての責任を平気で放棄できるのかと言う疑問についてだ。夫が、子供の頃の父親に対する気持ちを伝えられずに大人になったことに原因はあるのではないか。
父親の愛情をもっと注いで欲しかったのではないか。決して単純なことではないし、正解ではないかもしれないが、不正解ではないように思える。人として意志伝達は必要だと思う。どんな時も自分の気持ちを相手に伝えることによって関係がより深まり繋がっていくからだ。
夫と舅はこの関係が成立しないまま時間を過ごして来たのだろう。どこかで軌道修正するチャンスがあれば関係性は変わり、少なくとも現状よりはマシな状態になっていたのではないのかと考えられる。
二人の間に挟まり、右往左往していたのが夫の母親である。