看取りの方針は揺れるもの…何度も話し合うことが大切
在宅療養をしているなかでは「看取りをどこで、どのように行うか」という問題も、どこかで話し合っていかなければなりません。
最近のがんの患者さんでは、患者さんもご家族も在宅医療を始める当初から「最期まで自宅で」という意思を示していて、それを貫かれることもよくありますが、そういう明確な方針がない場合も実際には少なくありません。ご本人もご家族も、病院か自宅かで気持ちが揺れることも少なくないものです。
最初は自宅で看取りまでは…と抵抗を示していたご家族が、自宅でくつろいでいる親御さんの顔を見ていて「やっぱり最期も家にいさせてあげたい」となることもあります。反対に、自宅で看取りを考えていた方でも、いざ状態が悪くなると「やっぱり病院へ行きたい」となることもあります。
在宅医である私は「看取りの場所は自宅がいい」と心から思っています。病院は命を救うところであって、死ぬところではないからです。命の終わりが近づいていると知ったとき、患者さんやご家族は「病院へ行けば、何かできることがあるかも」と一縷の望みをかけるのかもしれません。しかし、人の命が尽きようとしているとき、病院でできることは残念ながら何もないのです。
以前に、がんの患者さんを在宅で診ていたときのことです。60代の卵巣がん末期の女性で、病院から在宅に移るときに終末期とはいわれていましたが、病院の医師はあとどのくらいという、はっきりした余命を伝えていませんでした。
そして、いよいよ具合が悪くなってくると、その女性はこの状態がいつまで続くのか不安で耐えられなくなったようで、「やっぱり病院に戻る」と強く訴えるのです。
そこで私は、女性の命はあとほんの数日だと判断し、思い切ってそれを伝えることにしました。もちろんいきなり告知するのではなく、ご主人や弟さんに先に状況を説明しました。今の段階で病院へ行ってできることはなく、このまま自宅で家族と過ごされるのがいいと思うこと、そして本人の状況を見ながら伝えようと思うが、それでいいかとご家族に確認し、慎重に告知をしました。
私の話に女性はショックを受け、はじめは見るからに落ち込んでいました。けれども、2日ほどしてむしろ事実がわかり、決心がついたというさっぱりした表情になりました。そして亡くなる前日には、しばらく疎遠だった遠方に住む弟さんと再会を果たし、本来であれば話すこともできないような状態の中でなんと2時間もお話しをされたのです。お別れをすることもでき、本人もご家族も落ち着いて自宅で看取りができました。
命の終わりを受け入れることは、簡単ではないかもしれません。在宅医とは何度話し合ってもかまいませんから、本人のためにいちばん良い方法を考え、ご家族も納得して看取りの方針を決めてほしいと思います。自宅で最期までという決心をされたら、在宅医療のチームが全力でご本人とご家族をサポートします。
突然出てくる「介護に関わらなかった人々」には要注意
看取りの方針について、一つ気をつけていただきたいことがあります。それは終末期の段階になって、それまであまり介護に関わってこなかったきょうだいや親族が現れ、急に「自宅で看取るなんて、かわいそうだ」などと意見をしてくることがあるのです。
それまで介護をしていたご家族は、いろいろな紆余曲折がありながら、頑張って生きてきた親御さんを見ていて、「もうこのまま穏やかに自宅にいるのがいい」と思われることが多いのです。
しかし、ふだん関わりのない親族はそれを知らないために、病院へ行くべきと強く主張したりします。その結果、自宅での看取りが叶わなくなる不幸なケースもあります。
少し前の話ですが、90代の肺がんの男性の場合もそうでした。当時はがんの告知が今ほど一般的ではなく、ご家族は病名を知っていましたが、本人には知らせていませんでした。そして自宅で静かに看取りを考えていたところ、北海道の親類が急に出てきて「それはいかん」と言って、がんセンターに送り込んでしまいました。入院によって本当の病名を知った男性はみるみる気落ちし、病院であっという間に亡くなってしまい、本人にとってもご家族にとっても辛い最期になりました。
ご家族・親族の間で看取りの方針について意見が割れたときは、やはり本人のためにもっとも良い方法は何か、という点を大切にしてほしいと思います。
井上 雅樹
医療法人翔樹会 井上内科クリニック 院長