「伊豆は任せた」と4年間の静岡病院着任へ
Basical Health産業医事務所代表の佐藤文彦と申します。
大学勤務最後の2012年から4年間、順天堂大学の分院である順天堂大学医学部附属静岡病院(静岡病院)に糖尿病・内分泌内科(糖尿病内科)の科長(兼 准教授)として赴任。その時にさまざまな対策を試みて、赴任から2年半程で医局員全員の残業時間がほとんどなくなり、毎日5時に帰宅できる体制を構築していきました。
結果的に、2024年春に始まる「医師の働き方改革」のはしりともいえる施策に取り組んだわけです。これから概論、導入編、実践編、総論、番外編の順に20回にわたって、その具体的な取り組みについてお話ししようと思います。
ちなみに今の私は大学病院を退職した後も、週の3分の1は糖尿病の診療を続けており、加えて3分の1は嘱託で複数社の産業医として活動し、残りの3分の1は健康保険組合やその関連企業において健康増進・予防医療に携わっています。現在のように独立する前は、2年弱ほど日本アイ・ビー・エム株式会社に専属産業医として勤務しておりました。
「医師の働き方改革」の舞台となった静岡病院は、文豪たちに愛されたことでも有名な伊豆長岡温泉街の中にあり、伊豆半島の救急を大きく担う拠点病院です。
名曲「天城越え」でも知られる通り、伊豆半島は山が険しく車で病院に乗り付けることすら大変で、しかも医療機関が年々減少していることもあり、救急車搬送件数は年間6692件、ドクターヘリの出動件数は1339件(2018年度)と、日本有数の第3次救急病院です。
https://www.hosp-shizuoka.juntendo.ac.jp/department/lifesaving/activity-report/
この病院の診療科長となった時、私は41歳でした。こういった若い年齢での「異例の大抜擢人事」が実現したのは、決して私が優秀だったからではありません。私のほかに「この病院に赴任したい」と思う医師がいなかったからだと推測しています。私自身かなり驚いたものの「教授も困っておられるのだろうな」と勝手に忖度し、加えて「天邪鬼」な性格も手伝って、結果的に二つ返事で了承することになりました。
正直、私自身、単身赴任となるので、最も避けたい赴任先でした。しかし、教授と話している最中に、「ここまでしっくりこない人事異動であれば、逆に何かあるかもしれない」と直感的に思ったのも事実です。今から振り返ってみると、その「何か」が「医師の働き方改革」とういう新しい時代の医師の働き方を示していくことであったのかもしれません。
こうして、当時小学2年生と4年生の子どもと離れ離れになりながら、教授の「4年間、伊豆は任せた」の一言で長い単身赴任生活が始まったのです。
着任した静岡病院では、当然ながら救急外来から「搬送患者さんに高血糖も認められるからすぐ来てほしい」といった要請が頻繁にあり、我々糖尿病内科医も救急外来に駆けつけると、深夜までの緊急対応になることは珍しくありませんでした。
こうしたことから連日残業が続く医局員達に対し、私は傾聴やフィードバックといったコーチングで使う手法を用いてコミュニケーションを重ねつつ、「働き方改革」を進めていったのです。