どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、JR山手線、京浜東北線の「鶯谷」。

改札を出たらホテル街…どうしてこんなことに?

「鶯谷」は東京都台東区に位置する、JR山手線と京浜東北線の駅です。1日の乗車人は2.5万人ほど。2019年時点、山手線駅で一番利用客が少ない駅です。

 

 

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駅があるのは台東区根岸ですが、なぜ「鶯谷」という駅名が付いたのでしょうか。江戸時代後期に作られた『新編武蔵風土記稿』によると、元禄時代(1688~1704年)、江戸のウグイスの鳴き声に不満をもった寛永寺(現在は駅の西側に所在)の門主が、京都からウグイスを運ばせ放鳥したのが、「鶯谷」の名の由来とあります。ウグイスの鳴き声は後天的に学習したもので、平安時代から「美声のウグイスを放鳥して、飼っているウグイスに鳴き声を学ばせる」ということが行われていたそうです。

 

ただ鶯谷がどのあたりの地名だったのか、はっきりとはわかっていません。1829年の地誌書『御府内備考』では「七面坂から南、御切手同心組屋敷の間の谷を鶯谷という」、『新編武蔵風土記稿』には「信濃岩村田藩内藤氏抱屋敷の裏の坂を鶯谷という」とあります。これらの場所は「日暮里」駅や「西日暮里」駅に近い場所。にもかかわらず、「鶯谷」と命名されたのは、謎のままです。

 

乗客が少ない背景には、山手線でも少数派である、他路線との接続がない駅であることが関係しています。最寄とする台東区根岸や下谷、入谷あたりは、中高層住宅が少ないエリア、つまり人口密度が低く、必然的に駅の利用客が少ないのです。

 

駅周辺は、江戸時代、寛永寺領であったため多数の寺院が残っています。また根岸は「下町の別荘地帯」といわれ、古くから多くの文人に愛された街として知られています。明治から昭和初期にかけては、正岡子規をはじめとする文人が多数住み、根岸党という文学人のサロンもありました。現在、正岡子規の住んだ家「子規庵」は、駅の北側、根岸2丁目にあります。

 

このように見ていくと、鶯谷は文化の薫りがする落ち着いた街、という印象を受けるでしょうが、多くの人が知っている鶯谷は、「=ラブホテル街」ではないでしょうか。ほかの繁華街では、奥まったところにラブホテルはあり、街の印象には影響を与えません。ところが鶯谷は駅を降りてすぐ到着という立地。鶯谷が良いイメージを持たれないのは、そのような事情があるのでしょう。

 

鶯谷は「上野」駅に近い立地から、集団就職などで上京してきた人たちをターゲットにした、簡易宿泊所が多く立地。しかし時代の流れの中で客が減少し、男女向けの休憩中心になっていき、いまのようなラブホテル街が形成されていきました。

 

「鶯谷」駅前のホテル街
「鶯谷」駅前のホテル街

 

 

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