全員起立して営業電話…ノルマ達成で「座れる」の衝撃
■大和証券での苦しいノルマ
大和証券に入社した同期は400人ほどいました。現在残っている同期は100人にも満たないのではないでしょうか。連載内で後述するところですが、職場の雰囲気になじめず辞めたり、結果が残せず去ったり、もしくは大きな成果を上げさらなる飛躍のために離れたりなど、毎年数十人単位で減っていくのが当たり前の世界でした。
入社直後は20人を一つのグループとし、3カ月ほど研修し、その後全国の支店に配属されます。私が赴任したのは神奈川県の郊外の支店でした。
東大卒といった超難関大学出は2、3年ほどで本社へ戻され、債券部や人事部、海外などに異動します。ただし成果を出せない人間はそのまま支店に残り、ほかの大学出と同じコースを歩んでいくことになります。証券マンとして働くには証券外務員資格を取らなければならず、また簿記2級程度の知識も必要であり、入社後しばらくはそれらの勉強にも取り組みました。
社風としては、あくまで当時のことと明言しておきますが、いわゆるパワハラが当たり前のように横行していました。赴任してすぐ、5年上の体育会系のそれはそれは怖そうな先輩がぬっと姿を現し、付いてくるようにと命令口調で言いました。恐る恐る付いていった先は営業場。社員が全員起立して営業の電話を間断なく繰り返している、異様な光景を見せつけられました。午前中のノルマを達成すると座れるのだそうです。
ほかの証券会社の話ですが、いっさい受話器を置くことを許されず、手拭いやガムテープで受話器を手にグルグル巻きに固定し、ひたすら営業を強いる会社もあったそうです。証券会社にとってそれだけ営業、とりわけ新規開拓営業が大切であり、新人たちの必須ノルマだったことを物語っています。
証券外務員資格を取ったあとは、地域を区切って名刺集めをしました。3日間で社長の名刺を50枚集めるというノルマを課され、達成できるまで帰ってくるなと命じられました。結局誰も達成できず、最後は社長だけでなく名刺であれば誰のものでもいいということになりました。
このような無茶過ぎるノルマが先輩たちから次々と課され、私たち新人は体育会系全開な証券会社の洗礼を浴びせられ続けました。「ノルマを達成できなければ会社にいる資格なし」ということを叩き込まれたのです。