ビジネスで海外の人々と関わる際、自国の歴史の知識は必須だといえます。しかし、日本人が注意しなくてはならないのが「外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる」という点です。本連載は、株式会社グローバルダイナミクス代表取締役社長の山中俊之氏の著書『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、著者の外交官時代の経験をもとに、外国人の興味を引くエピソードを解説します。

欧州では、貴族などの支配階層は別にして、庶民が文字を読めないのは当然であり、また、そもそも庶民を学校で教育しようという考えは、ほぼありませんでした。

 

一方、かつてより、勉学は寺で、という習慣があった日本。寺院教育と寺子屋教育は直接結びつくものではないのですが、「学ぶ場所としての寺」という古くからの習慣が江戸時代になると寺子屋という形で一般庶民にまで広がりました。

 

江戸時代初めは都市部で発達した寺子屋は、経済発展と社会の安定化により、17世紀末には農村部にも浸透していきました。読み・書き・算盤に加えて、地理・算術など理系を含む多様な科目が教えられました。貴族や富裕層が優秀な家庭教師をつけて自宅で学ぶ習慣があった欧州と違って、日本では、学ぶ場所は外でという考え方が強かったことも、教育が広く行き渡る要因となりました。

 

また、全国の藩では、各藩の俊英が藩校で学びました。

 

藩校では、四書五経(ししよごきよう)などの儒学のほか、江戸後期になると蘭学なども教えられました。蘭学は鎖国時代にも国交のあったオランダを通じて入ってきた欧州の学術や技術、文化などを学ぶ学問で、天文学など自然科学系も含まれています。蘭学の広がりが、江戸時代の自然科学における偉人を生み出す要因にもなりました。これが、明治以降の産業の発展につながったと考えられます。

 

自然科学系の学問が重視された点が特徴的です

 

日本には、朝廷や幕府などで科挙のような試験による官僚登用の制度はありませんでした(正確に言うと存在はしても根付きませんでした)。日本は尊徳のような例外を除き、原則的には世襲制で官僚が決まったので、その点では硬直的だったのです。試験による登用は受け入れられない社会でした。

 

一方で、中国の科挙では儒教が試験科目となっていました。中国の官吏は世襲制ではなかったので、新しい家系から官僚が生まれる余地はありました。この科挙の試験科目は年を経ても大きく変わらなかったため、新しい科目を学ぶことは、官僚になろうとする人の中では人気がなかったのです。

 

日本では、科挙のように学習分野が固定化した、人生の進路を決める試験がなかったことが一因で、学ぶ対象に自由度が生まれ、自然科学や欧州の学問など新しいものを受け入れる素地ができたのではないかと私は考えています。

 

 

山中 俊之

株式会社グローバルダイナミクス 代表取締役社長

 

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

山中 俊之

朝日新聞出版

ビジネスで海外の人々と関わるのであれば、自国の歴史の知識は必須だ。しかし外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる。本書は海外経験豊富な元外交官の著者が外国人の興味を引くエピソードを解…

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録