ビジネスで海外の人々と関わる際、自国の歴史の知識は必須だといえます。しかし、日本人が注意しなくてはならないのが「外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる」という点です。本連載は、株式会社グローバルダイナミクス代表取締役社長の山中俊之氏の著書『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、著者の外交官時代の経験をもとに、外国人の興味を引くエピソードを解説します。

尊徳の生家は、現在の神奈川県小田原市の栢山(かやま)にあります。生家に隣接する尊徳記念館を訪れた際には、寸暇を惜しんで勉強する尊徳の展示に心を打たれました。

 

尊徳は、生まれた頃は比較的裕福だったのですが、5歳の頃、洪水のため家が流され、一気に貧困化しました。両親も相次いで亡くなり、満15歳で一家を支えなくてはならなくなるのです。その後、寝る時間も惜しむほど刻苦勉励をして得た知識と生来の才覚によって、家業の農業を再建し、一家の経済状態は大きく改善します。

 

この評判を聞きつけた小田原藩の家老が尊徳に火の車になった自らの家の改革を手伝ってくれるように依頼をしてきました。さらに小田原藩主から藩の飛び地であった下野国(しもつけのくに)(現栃木県)桜町の再興を託され成功に導きます。農民であっても、十分に成果を出した人には役割を与えるという柔軟性が江戸時代の日本にはありました。

 

さらに尊徳の評判は幕府にまで伝わり、幕政の改革にも関与します。

 

貧困に苦しんだ農民が、封建制の身分社会において幕府の中で指導的な立場にまで昇りつめる。限られた人数ではありましたが、優秀な人には機会が与えられるという社会の流動性があったのです。

 

漁師出身で幕府に取り立てられて開国について助言するまでになったジョン万次郎など、学問や才覚のある者は身分にかかわらず評価されるチャンスがありました。

 

もっとも尊徳は身分の低さゆえ、周りの武士から軽くみられるなど、相応の苦労はしたようです。

寺子屋では地理・算術など理系科目を学ぶことができた

江戸時代の教育というと、よく聞かれるのは寺子屋です。

 

鎌倉時代までは、教育は主として貴族や武士など支配階層のためのものであり、一部の富裕層を除き農民や町人が教育の機会を得られることは稀でした。鎌倉時代までの庶民(農民や町人)の識字率は低かったものと推定されます。

 

その後、室町時代になると、経済社会が発展して庶民が学ぶ機会が生まれてきました。先述のように、16世紀半ばに来訪したフランシスコ=ザビエルは、庶民を含む日本人の教育レベルの高さに感嘆しています。

次ページ 日本と諸外国「庶民教育」の差
世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

山中 俊之

朝日新聞出版

ビジネスで海外の人々と関わるのであれば、自国の歴史の知識は必須だ。しかし外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる。本書は海外経験豊富な元外交官の著者が外国人の興味を引くエピソードを解…

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