香港政治の根幹揺らぐ「国家安全法」7月にも成立か
全国人民代表大会(全人代)の常務委員会が6月18日から3日間開催され、20日に閉幕した。注目されていた「国家安全法」法案は、議決されず継続審議扱いとなり、7月に成立する可能性が取り沙汰されている。同法案は、全人代常務委員会で制定されたあと、香港基本法に組み込まれ、香港で施行されることになっている。
常務委員会で公表された内容からは、香港での抗議活動を抑制しようとする習近平政権の強硬姿勢が窺える一方、香港との対話姿勢を見せようとしたり、体外的な落としどころを探っていたりする姿勢も混ざって見える。
6章66条で構成される同法案でまず目につくのは、中国政府が、香港の治安維持を担う治安機関「国家安全維持公署」を香港に設置する規定と管轄権に関する規定である。
「刑事事件は、特定の状態を除き、香港特別行政区が管轄する」と明記され、逮捕や取調べ、起訴といった司法手続きに関しては、香港側が基本的に権限を持つとしながらも、中国の治安機関が香港に介入できる余地を作り、香港での抗議活動の摘発に直接関与する道をひらくことになると読める。また「国家安全維持公署」は、国家安全に関して香港政府を監督・指導することも明記されている。
「特定の状態」については、「極めて少数の案件」とするだけで、どのような内容を意味するのかは不明である。戦争など余程の事態がなければこれに該当しないという解説もあるが、中国政府が状況に応じて裁量できるだけに、不透明感は否めない。「特定の状態」と判断すれば、中国の公安部門とともに管轄権を行使すると明記されており、中国にとっては、直接管轄権を行使する機会につながる。中国の治安機関に逮捕されるとなれば、民主的な扱いを受けられるかは不明である。民主派の運動姿勢にも影響を与えるだろう。
裁判官を行政長官が任命…司法権の独立崩壊も
同法案で示された気になる点としては、香港のほかの法律に優先することが明記されたことである。同法案が香港の法律と相反する点があった場合には、前者の規定が優先されるとした。また、違反者への裁判にあたって、香港行政長官が担当裁判官を任命することも明記された。これでは「司法の独立が脅かされる」と反発したくもなる。
香港で裁かれるのであれば、まだ公正な判決を期待できるという部分があったが、中国政府の指導を受ける香港行政長官が任命した裁判官が裁くとなれば、政府の意に沿った判決ばかりになることが危惧される。結局、香港で裁かれても公平な裁判を受けられないことになり、司法権が独立していない中国での裁判を受けることと大差なくなるのではないかと懸念したくもなる。ましてや香港法は中国法に劣後するとなれば、中国の意にかなわぬ活動は、完全に抑え込まれることになる。
全般に、香港の治安維持に関して、中国政府が直接関与するスタンスが鮮明になっており、独立した警察権や裁判権(終審権)などにより創り上げられてきた香港の高度な自治は、随分と変容していくだろう。習近平政権になってから、「一国」あってこその「二制度」といわれることが増えていたが、これまでの「一国二制度」とは異なる制度に移行するとも読める内容である。
欧米の懸念増幅は必至も…香港経済界は法案容認のナゾ
明らかになった法案の内容を読むと、先進7ヵ国(G7)をはじめとする欧米各国の懸念は増幅すると考えられる。ただ、この法案が今回の常務委員会で採決されず継続審議となったあたりは、中国政府が欧米諸国の反応を確認する意図で探りを入れている…と考えるのは穿った見方だろうか。
17日には、米中の外交トップであるポンペオ米国務長官と楊潔篪(ヤン・チエチー)政治局員がハワイで会談し、米中間の第一段階の通商合意のみならず、多数の案件について議論したことが伝えられている。欧米各国との間合いを図っている部分はあるように見える。
香港の反応を見極めようと時間をかけている部分もあるだろう。林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、中国政府が香港側の意見や提案を取り入れ、法案の修正に応じていると感謝の意を表明した。
香港の経済界は、国家安全法案に対し、表立った反対はせず、容認の姿勢でほぼ一致している。自由貿易港としての地位と、金融の街としての資本移動の自由などが確保されていくのであれば、経済的には大きな障害にはならないとの現実的な読みがあるだろう。在香港の大手金融機関が賛成を表明したことなどを見てもそれは明らかである。
昨年からデモや新型コロナウイルス感染症の拡大など、香港経済にとって受難のときが続いており、ロックダウンがようやく解除される段階に来た現在の状況からV字回復しないと、経済で潤ってきた街がもたないという危機感が感じられる。
また、Great Bay Area構想で香港・広州・深センに跨る巨大経済圏構築のためのプロジェクトが次々と立ち上がっていくなか、長いものに巻かれ大きな意味で中国の経済圏にしっかりと組み込まれつつ、香港の独自の地位を確保したほうが得策であると見ているようだ。
避けられない中国化…経済的実利が示す今後のシナリオ
政治的には、強面で力でねじ伏せるかのような姿勢の中国政府だが、政経分離を掲げていることも事実で、経済的な発展というベクトルで重なり合えば、協業できる相手と見ていることも考えられる。それに中国政府も、面子にはこだわりが強いが実利には敏(さと)いため、無茶はしないと見ている部分もあるだろう。
香港市民にとっては、国家安全法に対する疑念や懸念は大きいものの、警察の取り締まり強化や昨年から続いてきた抗議活動への疲労感、新型コロナウイルス感染の可能性などの影響もあり、デモなどの反対運動は盛り上がっていない。香港では20日に、複数の業界団体や学生が国家安全法の導入に反対するゼネスト及び授業のボイコットの是非を問う投票を実施したが、主催者側が見込んだ6万人の参加者に対して、9000人程度の投票しか集まらず、ゼネストは見送りとなった。
香港の悩みは深く解決されることはないのだろう。しかし、香港の中国化は避けられないだろうし、時間の経過のなかでそれは起こるべくして起こるものである。もともと微妙なバランスの上に立つ香港の地位は、1997年の中国への復帰前後を見てもそうであったように、今回の制度の変容を経ても、立ち位置の多少の移動はあれど、少なくとも経済的な面では失われないのではないだろうか。まさに、Floating Cityとして。
長谷川 建一
Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(NWB/日本ウェルス) CIO