鉄道駅拒否で開発から取り残された宿場町
「鳩ヶ谷」は埼玉県川口市に位置する、埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線の駅です。開業は2001年3月と新しく、1日の乗車人数は1.1万人ほどです。
現在は合併により川口市となっていますが、2011年までは単独で「鳩ヶ谷市」が存在していました。実はこの川口市による合併は2度目だったとか。少し、歴史をさかのぼってみましょう。
まず鳩ヶ谷という地名は、鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』で確認ができます。「谷」は谷の多い地形に由来すると考えられますが、「鳩」については諸説あります。そのなかで有力なのが、平安時代に作られた辞書『和名抄』に「武蔵国足立郡発度郷」という地名が記されており、「発度郷」を「ハトゴウ」と読んだことから、「鳩」という漢字があてられたというものです。
江戸時代には日光御成街道に鳩ヶ谷宿が置かれ、宿場町として発展。駅を降りて東へ10分ほど行くと旧日光御成道に出ますが、いかにも古い街道筋といった趣きで「吹上橋」には一里塚跡も残っています。
明治時代以降は三・八市が開催されるなど、県下屈指のにぎわいをみせていましたが、鉄道駅の誘致拒否によって風向きが大きく変わります。1910年、「川口町駅」が誕生すると、交通の要所としての機能は次第に薄れ、街道沿いにあった問屋街も廃れていきます。次第に川口との合併を望む声が大きくなり、1940年、川口市と一度目の合併を果たすのです。
しかし戦後、旧鳩ヶ谷町から合併時の条件不履行による分離独立の声が高まり、全町民を巻き込んでの大騒動に。住民投票の末、1950年、鳩ヶ谷町は川口市より分離。1967年には鳩ヶ谷市へと移行しました。
2度目の合併前の鳩ヶ谷市は、同じ埼玉県の蕨市に次いで2番目に小さい街でした。鉄道がなく「陸の孤島」と揶揄されることも多かったところ、2001年に埼玉高速鉄道が開業。同時に東京メトロ南北線とも相互運転を開始し、一気に都心と繋がり、注目を集めました。
鉄道駅を拒否したことで、長い間、開発から取り残されてきた、という歴史がありますが、一方で、宿場町としての面影を色濃く残すことができた、という側面もあります。鉄道の開通以降は賃貸マンションの建設ラッシュが起き、急速に東京のベッドタウン化が進んでいます。
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