お金持ちを間近で見て痛感「個人の富には限界がある」
◆個人の富には限界があることを知った
私は、たくさんの大金持ちの方々と接することで、逆に自分が目指すべきゴールはお金持ちではないと思うようになりました。お金持ちとひとくくりに言いますが、なかには資産数十億円という人もいれば数千億円という人もいて、結局上を見てもキリがありません。
その思いを決定づけたのは、フランス・パリのベルサイユ宮殿を見たことです。ネイチャーを創業後まもなく、スイスに出張する機会があり、以前からどうしても見たかったパリのベルサイユ宮殿にスイスから日帰りで行きました。
ベルサイユ宮殿は、ルイ14世時代に最高潮を迎えたフランスの栄華の象徴であり、世界で最も華麗な宮殿といわれます。その贅を尽くした内装や庭園を眺めていたとき、ふと「個人の富には限界がある」と感じたのです。
私がビジネスをしている目的は、「もっとお金を貯めるにはどうすればいいか?」「もっとお金を稼ぐにはどうすればいいか?」を追求して、クライアントである資産家に追いつくことではありません。
クライアントに対して、「いかにしてより良いサービスを提供できるか?」。そして経営者として一緒に働いている人たちに対して「いかに良い環境を提供できるか」――。この2つが、私の人生におけるプライオリティの高いところに位置するようになったのです。
ベルサイユ宮殿での体験は、ビジネスへのアプローチはもとより、パーソナリティや価値観をも変える大きな転機となりました。
「自分で稼げばお金なんてなんとかなる」
◆幸せのモノサシはお金ではない
人生の価値や幸福について考えたとき、お金をたくさん持っている人のほうが幸せで、価値が高い人生を送っているかといえば、必ずしもそうとはいえないと思っています。
私のお金に対する考え方を読者の方々に理解していただくために、少しだけ昔話にお付き合いください。
私が生まれたのは神奈川県横浜市で、父は300人ほどの従業員が働く会社の社長でした。そこそこ大きな邸宅に住むお坊ちゃんだったわけですが、そんな時期はほんの束の間のこと。私が小学2年生のときに父の会社は倒産し、邸宅住まいから小さなアパート暮らしになりました。
両親は別々に暮らすようになり、母は女手一つで私たち3人の子どもを育ててくれました。間近で苦労する母の姿を見て育ちましたので、物心ついてからお小遣いをもらったり、親からお金をもらったりすることはありませんでした。
高校時代、どうしても大学に進学したいという気持ちはありましたが、受験費用はもちろん、入学金や学費は出してもらうことが難しい状況でした。しかし、そのときにはすでに、サポートを受けるのが当たり前という人生ではなく、サポートを受けずに自分の力でやっていくことが身についていたので、自分で学費を稼ぐためにさまざまなアルバイトを経験しました。
365日、昼夜を問わずアルバイトをして、その合間に勉強するような状態でした。コンビニやカラオケボックス、年末の繁忙期には、上野のアメ横で魚屋さんのアルバイトもしました。
そんな話をすると、「苦労したんですね」とか「大変でしたね」と、よく言われるのですが、実は私はそんなに大変だったとは思っていません。お金がない人は、働くのが当たり前だと思っていたし、働きさえすればお金は稼げます。
こうした子ども時代からの体験は、私にとってとても良かったと思います。苦労したとか、大変だったというネガティブな体験ではなく、人からサポートを受けたり、与えられたりするのではなく、自分で稼げばお金なんてなんとかなるということを、身をもって学ぶことができたからです。
大学時代は、アルバイトをしながらよく起業家や創業者の本を読んでいました。特に、ソフトバンクの孫正義、マイクロソフトのビル・ゲイツの起業物語はダイナミックでワクワクして読んでいました。小説のようなフィクションの世界ではなく、実在する人物について語られた成功物語はとても魅力的に感じたのです。
自分の技量と力で人生を切り開いていく姿に共感したものの、自分が起業家になりたいとか、会社を立ち上げたいと思っていたわけではありません。父が事業に失敗しているからかもしれませんが、借金をして一か八かの勝負に出る起業家のようには自分はなれないと感じていたからです。
「起業するよりは、サポート役の税理士の仕事が自分には向いているんじゃないか」そう考えたのが、今の道に進むきっかけとなりました。