「労務問題が多い業種」と見られている医療・介護業界
クリニックM&Aの成否を握る4つめのポイントは、「人事労務のリスクの洗い出しと改善」です。人事労務の問題は、譲渡金額にも影響を及ぼし、ひいてはM&Aそのものの成否を決めることもある重要な要素です。
実は、医療・介護業界は労務問題を多く抱えている業種と見られています。
これは偏見ではありません。平成23年度版の「労働基準監督年報」によれば、医療機関・介護事務所の約8割で、労働関連法規違反があることが報告されているのです。8割というのは、全産業の平均より10ポイント以上も高い値で、M&Aでは看過できません。以前から、医療・介護現場で労働関連法規の違反が横行していることは問題視されてきました。違反分野として多いのは、次のような問題です。
・ 金銭債務的なもの(未払い残業、未払い社会保険料など)
・ 法令違反的なもの(長時間労働、突然の解雇、有給休暇の拒否など)
・ トラブル的なもの(パワハラ、セクハラ、いじめなど)
医療業界で違反が多くみられる背景には、勤務医時代の労働環境が影響しているのではないかと思います。医師とはそもそも命を扱う仕事です。そのため、勤務医時代には勤務先の状況で休みがなくなることや、長時間労働になることもいとわず働き、有給休暇などを取る余裕はなかったという話は本当によく聞きます。そういった経験を経てきた開業医が労働環境に関しての意識が低くなるのは、ある意味やむを得ないことかもしれません。しかし、これらの認識は世間一般からすると、考え方が古い、今の常識からズレているとみられてしまいます。
労務トラブルがM&Aで嫌がられる理由とは?
たとえ問題意識を持っていても、なかなか労務のことまで勉強する時間が取れないというのが現実でしょうが、医師であると同時にクリニックの経営者という立場上、知らなかったでは許されません。
クリニックが抱えやすい従業員との労務トラブルは、M&Aでは嫌がられるもののひとつです。承継前に起こった労務トラブルの火種が承継後、新院長になってから表面化したとしても、その対応は新院長がしなくてはならないからです。金銭的な賠償や補填が必要な場合も、新院長の義務です。
例えば、賃金の未払いの事実が認められると、最大過去2年間はさかのぼって支払わなければなりません。また、不当解雇の事実があれば、解雇予告手当に加えて解決金などの支払い義務が生じることがあります。ハラスメントの損害賠償額も、訴訟件数が増えるに伴って高くなってきています。
近頃は「ブラック企業」という言葉が広まり、人々の労働環境に対するチェック意識も高まりました。これは不当だと思ったときに、泣き寝入りしない労働者が増えてきたのです。大阪労働局によると、社会福祉施設への申告監督の件数は、平成13年から23年までの10年で約3・5倍にもなっています。
クリニックの労務トラブルは、しばしば風評被害となって世間に広がっていきます。一時的でもあそこのクリニックはブラックらしいと噂が立つと、看護師などの募集をかけても集まりにくくなるでしょう。従業員とトラブルを抱えているようなクリニックは患者としても敬遠したくなるものですから、おのずと患者数の減少にも波及していくはずです。
私の事務所では、顧問先以外のクリニックからも労務相談を受けることがありますが、労務リスクを放置したままのクリニックがよく見受けられます。そういうクリニックほど危機感を持たず、何とかなると考えているようです。これではM&Aの際にクリニック価値を低く評価されたり、M&Aをご破算にされたりする可能性があり非常にもったいないことです。
自身の労務管理に自信がないと思ったら、M&A前に必ず社会保険労務士など専門家に相談して適切なサポートを受けてください。リスクの洗い出しをして、一つひとつ解決していくことが結果としてM&A対策になります。