年間約130万人の方が亡くなり、このうち相続税の課税対象になるのは1/10といわれています。しかし課税対象であろうが、なかろうが、1年で130万通りの相続が発生し、多くのトラブルが生じています。当事者にならないためには、実際のトラブル事例から対策を学ぶことが肝心です。今回は、遺言書が引き起こした事例について、円満相続税理士法人の橘慶太税理士に解説いただきました。

常連客との触れ合いが唯一の生きがいだったAさん

都内の高級住宅地に住むAさん。父(本人)、母、長男、長女の4人家族で、Aさんの父の代からの家に住んでいました。Aさんの父は事業に成功し、大きな財をなしていました。Aさんは大学卒業後、父の会社に就職し、いまは2代目として奮闘しています。

 

しかし会社の行く末は、正直厳しいものと感じていたそうです。環境が変わり、Aさんの会社が主力とする事業は時代遅れとなっていました。

 

「父から継いだ会社ですが、わたしは時代の波についていくことができなかった。だからこの会社は、わたしの代で精算することにしたのです」

 

そんな父を快く思っていなかったのが、長男です。長男は、社長である父に憧れ、いつか自分も、と幼少のころから思っていました。しかし会社を精算することを聞いた当時高校生の長男は、ひどく落胆しました。それ以来、父と子の間には、どこか冷え切った空気が流れ、話すことも徐々になくなっていきました。大学卒業後、長男が海外勤務となってからは、父と子の交流はほとんどなくなりました。

 

また父と長女との関係も良いものとはいえませんでした。父と長男の関係が悪くなったころ、中学校一年生だった長女は、父のどこか情けない姿を見て、嫌悪感を覚えたそうです。長女は大学進学とともに実家を出て、そのまま父とは疎遠になっていきました。

 

「情けない姿ばかり見せてきたので、仕方がないですよね。仕事を言い訳にして、かまってあげることもできませんでしたし……」と話すAさんは、どこか寂しそうな口調でした。

 

会社は精算したものの、父からの十分すぎる財産もあり、特に生活に不自由をすることはなかったAさんでしたが、還暦を迎えたころ、長い闘病生活の末、妻を亡くします。

 

「家のことはすべて妻任せで、苦労ばかりかけてきたと思います。子育てもひと段落したから、改めて、夫婦二人で楽しくやっていこうと話していたんですけどね……」

 

妻に先立たれたAさん。掃除や洗濯はなんとなくこなすものの、食事をつくるのだけはどうしても難しかったようで、ほぼ外食という毎日になりました。

 

「『男性でも簡単』とうたっている料理の本も買ってみたのですが、わたしには難しすぎましたね」とはにかむAさんでしたが、ほぼ外食になったのは、単に料理が苦手だったからではなかったようです。毎日通う知り合いの飲食店でAさんは常連となり、客同士のコミュニケーションを楽しみにしていたのです。

 

「奥さんを亡くして意気消沈していたからね。人との触れ合いを求めていたんだろうね」と常連客の1人はいいます。また店の女将さんは古くからの知り合いで、奥さんを亡くしたAさんを何かと気にかけてくれました。風邪で何日か店に顔を出さなかったときには、自宅まで様子を見に行き、散らかり放題の家を掃除したり、料理を作り置きしてくれたりしたそうです。

 

何かと気にかけてくれた女将さん
何かと気にかけてくれた女将さん

 

そんなAさんは、奥さんが旅立ってから8年後、亡くなりました。お風呂場で倒れているのを発見したのは、その女将さんでした。

晩年感じた感謝の気持ちを込めたAさんの遺言書

長男や長女は、Aさんが亡くなったころには、一年に一度、会うか会わないかの関係となっていましたが、それでも突然の父の死に、大きなショックを受けたそうです。

 

「まだ60代だったのに……」

 

なんとか葬儀を終え、実家の整理をしていた長男と長女。そのとき、Aさんの机の引き出しから、1通の封書を見つけました。

 

「お兄ちゃん、これって遺言書!?」

 

Aさんは、奥さんが亡くなったあと、子どもたちが相続で争わないようにと、遺言書をしたためていたのです。長男と長女は、然るべき手続きを経て、遺言書を開封しました。そしてそこには、ふたりが想像もしなかった事柄が書いてあったのです。

 

その数日後、長男と長女が訪ねたのは、Aさんが通っていた飲食店でした。

 

長男「すみません、このお店の店長さんはいらっしゃいますか?」

 

店員「あ、女将さんですね、ちょっと待っていてください」

 

店員に呼ばれて、店の奥から女将さんが出てきました。

 

女将「あっ、あなたたちは確かAさんの……」

 

長男「そうです。Aの長男です。父の葬儀にもいらっしゃってくれましたよね」

 

女将「この度は、ご愁傷様で……」

 

長女「父を見つけていただいたのも、あなただと聞きました」

 

女将「Aさん、毎日のように通ってくれていて。何も連絡なしに来ないことなんて、一度もなかったので」

 

長女「そうですか。毎日、きていたんですね、父は」

 

長男「突然ですが、今日は、父の遺産のことで話があってきたんです」

 

女将「えっ、遺産?」

 

長男「実は、父は遺言書であなたに遺産を3,000万円残すと書いてあるんです」

 

女将「えっ、3,000万って、なぜ?」

 

長女「女将さんには、すごくお世話になっているからと」

 

女将「確かに、たまに家に行ってお掃除をしたり、ご飯を作ってあげたりしましたが、それで3,000万なんて大金……」

 

長男「そうですよね、驚きますよね……わたしたちも、何ら関係ない方に遺産を、というのは、父の遺志とはいえ、正直、戸惑っています」

 

Aさんが残した遺産は、金融資産が1億円以上、自宅なども合わせると、3億円近くあったといいます。遺言書には、遺産のうち3,000万円を馴染みの店の女将さんに渡したい、という内容も記されていたのです。

 

長男「父の遺産額から考えたら、3,000万円は一部でしかありません。でも父は母を亡くして、すごく気落ちしていました。そんな父につけこんで……。失礼ですが、どうしても、そのようなことを考えてしまいます」

 

長女「父の遺志だからといって、『はい、わかりました』とはいえないんです。わかってくれますよね」

 

女将「……そうですね。そうだ、お二人がよければ、今日は、お父様のお話をいろいろしましょうか」

 

こうして、長男と長女は、女将さんから父がどのように暮らしていたのか、色々と話を聞いたといいます。だからといって、すぐに遺言書のすべてを受け入れることはできず、遺産分割がまとまったのは、1年以上先になったそうです。

「遺言書」があれば相続人以外にも財産を残せる

遺産の分け方は非常にシンプルで、「遺言書があればそれに従う、遺言書がなければ遺産分割協議(話し合い)で決める」が基本です。しかしながら、実は、遺言書を使わないとできないこともあります。

 

それは、法定相続人ではない人に遺産を残す場合です。たとえば、父、母、長男、次男という4人家族がいて、長男は結婚して、妻と子どもがいます。しかし不幸なことに、父母より早く長男が先に亡くなってしまいました。その後、父に相続が発生した場合、法定相続人となるのは、母、次男、そして長男の子どもである孫です。

 

相続権が継がれるのは、孫だけであって長男の妻には引き継がれません。長男の死後、長男の妻が献身的にお世話をしてくれていたとしても、長男の妻は法定相続人にはなれないのです。こういったときには、遺言書に「長男の妻にも遺産を残します」と書き残してくれれば、長男の妻にも遺産を分けてあげることができます。

 

法定相続人ではない人に遺産を残したいケースは、次のようなものがあります。

 

・子どもの代を飛ばして孫の代に遺産を残したい場合

・まったく血のつながりのない友人、知人(または愛人)に遺産を残したい場合

・自分の育った学校や、お世話になった老人ホームに遺産を寄附したい場合

 

今回の事例のように、血のつながりがない人でも、遺言書があれば思いをとげることができます。

 

また相続税の観点からは、配偶者と子ども(代襲相続の孫を含む)と両親以外に遺産を残した場合には、相続税の2割加算という制度の対象になります。つまり、相続税を1.2倍で支払わなければいけないのです。遺言書を残す人は、このことも十分にしておきたいところです。

 

 

【動画/筆者が「相続税の2割加算」について分かりやすく解説】

 

 

橘慶太
円満相続税理士法人

 

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