年金目当てで無理やり生かされる高齢者の悲劇
世のなかには、家族の都合で無理やり生かされている高齢者も少なくありません。
日本では高額療養費制度があるため、医療費の上限額が決まっています。ですから、寝たきりの高齢者が長期間にわたって入院を続けていても、医療費の負担は月数万円で済みます。食費やおむつ代などを加えても、毎月の費用は10万円を超えないことがほとんどでしょう。
これに対し、入院している高齢者が厚生年金に加入していた場合、月に十数万~二十数万円の年金が受け取れます。
つまり、高齢者に生きていてもらえれば、月数万円の医療費を上回る年金が受け取れる。だから、お金のために生き続けてほしいと考える家族が少なくありません。
以前は、病院側もこうした家族に荷担していた面がありました。
当時の医療費は「出来高払い」方式で、患者を治療するたびに医療費が受け取れていたのです。そこで、寝たきりの高齢者をたくさん受け入れ、延命処置をして収益を確保していた病院もありました。
ところが、2003年から「診断群分類包括評価(DPC)」の導入が始まり、診断病名ごとに医療費の上限が定められることになりました。そして、入院が長引いている患者についての医療費が引き下げられたのです。病院側は入院が長引けば赤字になります。そのため「儲からない患者」に対し病院は退院・転院を勧めます。
そんな病院側の対応に、「死にかけている家族の面倒を見ないなんて、お前たちは鬼か!」などと大声を出し、何か月、何年も寝たきり患者の面倒を見させている家族もいるようです。
残念なことに、自分の意思とは関係なく、年金目当てに生かされている高齢者も少なくはないのです。
意識のないまま生かされる高齢者は幸せか?
点滴や呼吸を補助する人工呼吸器のチューブ、尿をとるバルーンなどの管、脈拍や血圧を調べるためのチューブ類を何本も体に付け、ほとんど意識のないまま長期間にわたってベッドに寝かされている。こうした状態を「スパゲティ症候群」と呼ぶことがあります。
私が医学部の学生だった頃、実習先の病院でスパゲティ症候群の患者を何人も目にしました。意識はなく、点滴や胃ろうで栄養を与えられ、かろうじて心臓を動かしているという状態の人々を見て、私は強い衝撃を覚えました。そして、ベッドで何か月、何年も意識のないまま生かされている人は、本当に幸せなのだろうかという疑問を感じざるを得ませんでした。
それから20年以上が経過し、私も医師としての経験を積み重ねてきました。この間に看取らせていただいた方は、恐らく数百人になると思います。数多くの患者を見送ってきたことで、私は一つの結論に達しました。それは、「医療機器につながれ、回復の見込みもないまま無理やり生かされている高齢者は、不幸である」ということです。
私の意見は、決して異端ではありません。医療関係者も一般の人々のなかにも、同じ考え方をしている人はたくさんいます。
厚生労働省が医師や看護師、介護施設の施設長や介護職員に対して行った「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によれば、2008年時点で「治る見込みがなく死期が迫っている(6か月程度、あるいはそれより短い期間を想定)と告げられた場合の延命治療」を希望する人は、たったの11.0%しかいませんでした。一方、「延命治療は望まない」、もしくは「どちらかというと延命治療は望まない」と答えた人は、71・0%もいたのです。しかも、「延命治療を望む」と答える人の比率は、年々下がっています。
このデータでもお分かりの通り、延命をするための医療機器によって高齢者を「無理やり生かす」ことは多くの人が望ましくないと考えています。スパゲティ症候群は、人の尊厳を傷つける行為、高齢者に対する虐待行為だというのは、社会的なコンセンサスとなりつつあります。
「夫の死をきっかけに」─Fさんの事例
私がつい最近看取ったFさんは、自ら「自然な最期」を望み、その通りにこの世を去られました。
○Fさんの場合
【プロフィール】83歳女性。若い頃は貧しい時期もあったが、夫と二人三脚で商売を興して見事に成功。子育てをしながら仕事に打ち込み、70歳を過ぎるまで仕事をしていた。現在は長男と次男に家業を任せ、趣味を楽しみながら余生を送っている。
【家族構成】夫とは2011年に死別。仕事のかたわら育てた3人の子どもは全員家庭を持ち、合わせて8人の孫がいる。2015年には初めてのひ孫が生まれた。
【経済状況】持ち家と十分な資産があり、経済的な不安は一切ない。財産の半分ほどは生前贈与によって子どもたちに相続済み。
Fさんのご主人は、かなり名の知られた実業家です。無一文に近い状況から飲食店を開き、大きなチェーンに育て上げました。Fさんも子育てをしながら店に立ち、ご主人をもり立てていったそうです。その甲斐あって、ビジネスは大成功。Fさんご夫婦は、十分な財産を築くことができました。
ご主人は75歳を過ぎた頃から認知症を発症しました。数年たつと症状はひどくなり、時には深夜に徘徊して騒ぎを起こしたこともありました。
子どもたちからは、ご主人を施設に入れるよう勧められたそうです。しかしFさんは、「この人(ご主人)は、最期まで私が面倒を見る」と自宅で介護を続けました。子どもたちもFさんの決意に折れ、できる限りの協力をしたそうです。
そんななか、Fさんのご主人は下咽頭がんになって入院。声帯を含めたのどの周辺を取り除く手術を受けました。手術と放射線治療の影響で、ご主人は口からものを食べられなくなったそうです。Fさんは医師から提案されるがまま、ご主人に胃ろうの処置を受けさせました。ところが、体調は回復せず、さらに数か月後には手術したのどに再びがんが見つかって、ご主人は亡くなってしまったのです。
ご主人を病院で見送ったFさんは、いろいろなことを考えたそうです。
病院のベッドで、長期間にわたって苦しんだご主人は、果たして幸せだったのか。そして、自分が亡くなるときに、あらかじめ決めておくべきことはないか……。
そしてご主人の一周忌が済んだ頃、Fさんは子どもたちに向けて遺書を書きました。そこでいちばん強調されていたのが、「必要のない医療措置、延命措置を一切しないこと」でした。
自分の生き様・死に様は、あらかじめ自分で決める
Fさんはご主人を見送る際に、大きな後悔がありました。本当は、ご主人が元気で正常な判断力を持っていた頃にきちんと話をして、医療措置をするのかどうか、するとすればどこまでの措置を施すのか決めておけば良かったといいます。しかし、そうした相談をしていなかったばかりに、ご主人が望んでいない医療措置を強いてしまったのではないかと悔やんでいたのです。そこでFさんは、自分が亡くなる際の医療措置について細かく定め、遺書に残したのでした。
Fさんはご主人が亡くなってから4年後、肺がんになりました。私が診察すると、既に骨や他の臓器に転移している状況で、手の施しようがありませんでした。
私はFさんに、病状を伝えました。すると、Fさんは落ち着いた表情で、「先生、分かりました。私はもう十分に生きた。この前、初めてのひ孫が生まれてかわいい顔も見られましたからね。だから特に治療せず、このまま、なるように任せます」と答えたのです。
それから亡くなるまでの数か月、Fさんの姿は本当にご立派でした。古い友人や遠くにいる親戚に会ってあいさつをしたり、自分の荷物を徐々に整理したりして、着々と死への準備を整えていったのです。そして亡くなる2週間前からは、2日おきに訪問診療をするよう頼まれました。私は、血圧などを計り、がんの痛みを抑える薬などを処方しただけ。点滴などは一切しませんでした。そしてFさんは、眠るようにして亡くなられたのです。
Fさんの生き様、そして死に様は、まさに理想的なものです。最期まで自分の人生を人任せにせず、人としての尊厳を保ちながら、自分らしい生き方・死に方を全うできたのですから。
こうした最期を迎えるためには、あらかじめ準備が必要です。しかも、心身が健康な内から必要な準備をしておかなければなりません。もし、突然の病気や事故で正しい判断ができなくなり、当人が医療措置について何もいい残していない場合、その判断は家族に任されます。そして、多くの家族は肉親への愛情から、延命を望むものなのです。そして、「延命措置をして無理やり生かすことは、本当に正しいのだろうか?」という苦悩に追い込むことになります。
そこで大切なのが、人生の最終段階における医療についてあらかじめ意思表示、いわゆる「リビングウィル」を明らかにしておくことです。厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によると、自分で判断できなくなった場合に備え、どのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないかなどを記載した「リビングウィル」をつくることについては、約7割の人が賛成しています。多くの人は、リビングウィルの重要性に気づいているのです。ところが、実行している人はほとんどいません。
「人生の最終段階における医療について家族と話し合ったことがある人」は、4割強にすぎませんでした。
リビングウィルについての相談をしないのは、恐らく「死ぬことについて相談するなど不謹慎だし、縁起が悪い」と考えてしまうからでしょう。しかし、そうしてこの話題を先送りにすると、後悔するのは、本人やその家族なのです。
森 亮太
医療法人 八事の森 理事長