景気や社会現象には、「周期的な法則」が存在する
学説の主流が変化し、最近ではあまり話題に上らなくなったが、かつて景気循環論は経済学における主要なテーマであった。
景気や社会現象に周期的な法則があることはかなり以前から認識されており、これを体系化したのが景気循環論である。短期的な景気や市場の変動について考える場合には、循環論はあまり役に立たないが、長期的あるいは超長期的な動きを分析する際には大きな威力を発揮する。
経済や社会が長期的な循環サイクルで動いているのだとすると、金利の動きにも一定のサイクルが見られるはずであり、その動きを知ることができれば、長いスパンでの景気予測に使えるはずだ。
特に最近は経済のパラダイムが歴史的な転換点を迎えているのではないかとの見方も広がってきている。超長期での金利や景気の動きについて、知っておいて損はないだろう。
コンドラチェフが発見した「50年周期の景気サイクル」
コンドラチェフ・サイクルはロシアの経済学者コンドラチェフによって提唱された約50年を単位とする経済の長期循環である。
コンドラチェフは、英国、米国、フランスの経済動向を調べ、物価、利子、貿易、生産などの指標について140年間に3つの山があることを発見した。
当初コンドラチェフはこれを社会資本投資などの内生的要因と考えたが、その後、シュンペーターが経済成長の文脈としてこれを取り上げ、イノベーション論と結びついたことで理論が大きく発展することになった。現在ではコンドラチェフ・サイクルは、イノベーション、新しい市場(ニューフロンティア)、通貨、戦争、資源など、多くの要因が複雑に関係して発生していると理解されている。
コンドラチェフ・サイクルは50年という長い期間を扱ったものなので、どの時点をサイクルの開始時点とするのか、あるいはピークとするのかで、見解が分かれる。ただ、欧米については、おおよそのコンセンサスが得られていると言ってよい。図表は欧米におけるコンドラチェフ・サイクルの概要を示したものである。
サイクルが「ピーク」を迎えた要因は?
第1波は1790年頃を開始時点とし、1820年前後にピークを迎え1850年頃に終了している。
この時代は産業革命の全盛期であり、オランダから英国に世界的な覇権が移り始めていた。貨幣的な側面ではブラジルで大量に発見された金が英国に流入し、貨幣需要を支える役目を果たした。1830年代には英国で全国民を巻き込んだハイテク株(鉄道株)ブームが起こっている。
第2波は1875年前後をピークとするサイクルで、英国が覇権国家として絶頂を極めた時代である。穀物法の廃止によって本格的な自由貿易経済がスタートし、新興国である米国が成長のエンジンとなった。また現代にも通じる経済のグローバル化が進展し、国際的な金融市場の連動性が強まったのもこの時代からである。
自由貿易によって穀物価格が下落したことで消費が急激に伸び、各地で住宅バブルが発生した。最終的には1873年のバブル崩壊によって長期デフレに突入しサイクルが終了している。
第3波は、新興国である米国の急激な経済成長を背景とした景気サイクルである。
第一次大戦によって欧州は疲弊したが、米国には莫大な戦争特需が発生し、米国経済はめざましい成長を見せた。また石油の量産化と自動車の発明という歴史的な技術革新もこれを後押しした。
サイクル上のピークとなる1920年代後半には、世界的な株価高騰が見られた。特に米国はまさにバブル的株価となり、株長者が続出した。当時、もっとも注目されたハイテク銘柄であったゼネラルモーターズ(GM)の株価は、約10年で200倍に上昇している。
しかし、空前のバブルも1929年に発生したニューヨーク市場の大暴落(暗黒の木曜日)で終了となり、その後、世界恐慌へ突入することになった。これによって第3の波も終わりを告げる。
第4波は第二次大戦前後をスタート地点とするサイクルである。世界恐慌後、米国ルーズベルト大統領は、これまでにないレベルの大規模な公共事業を実施し、米国経済を復活させることに成功した。その後、第二次世界大戦が勃発したことで英国は疲弊。大戦後、米国は完全に覇権を握り、圧倒的な経済力で世界をリードした。
この時代のニューフロンティアはまさに日本であり、高度成長の実現によって大きな需要が掘り起こされた。また、金本位制の廃止という歴史的な決断も実施され、経済のグローバル化がさらに進展した。この時代のカギとなるテクノロジーはエレクトロニクスである。
第4波は2000年前後に終了していると考えられ、現在は第5波が始まっているかもしれないというタイミングだ。しかし、第5波の主役が誰になるのかは今のところまだ分かっていない。
加谷 珪一
経済評論家