バブル期までは、一致団結して企業に尽くしていた
私は日本の会社でさまざまなカルチャーショックを受けたものの、実際に驚いたことはほとんどありませんでした。なぜなら、中国の国有企業にも同じような制度や慣習が存在していたからです。年功序列や終身雇用は、90年代まで中国ではほとんどが国有企業だったので当たり前でした。
日本は資本主義の国なので、欧米のように若くても実力があればどんどん出世できて、実力のない人はアメリカのようにクビを切られるのかと思っていたのです。実際は、一度正社員になると仕事ができなくても窓際社員扱いになったり、左遷されたりするぐらいなので、やる気や実力のない社員にはとてもありがたい環境だと感じました。
年功序列や終身雇用、定年制度は、高度経済成長期に企業が労働力を確保するために定着させた制度で、当時の時代の産物です。バブル崩壊まではうまく機能していたので、これらの制度自体が悪いわけではないでしょう。
右肩上がりの将来を約束されていたから連日徹夜のような激務でも耐え、上司から理不尽な要求をされても歯を食いしばり、一致団結して企業の発展に尽力してきたのです。ローンを組んでマイホームを買えたのも、長期間働くほど給料が増えていくという前提があったから。結婚して、女性が専業主婦として家庭に入ったのも、夫の収入だけで十分にやっていけたからです。
バブル崩壊後に導入された「成果主義」制度の迷走
それが、バブル崩壊とともに企業は社員の将来を保障できなくなりました。私が日本に移り住んだ頃はリストラの嵐がまだ吹き荒れていて、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が相次いで破綻した時期でした。
バブル崩壊後に導入されるようになったのが、能力や会社への貢献度によって賃金や役職が決まる成果主義制度です。年齢や勤続年数に関係なく、仕事の成果によって昇進・昇給するという仕組みのはずでした。
成果主義を導入する企業が相次ぎ、日本も欧米のような実力主義にシフトしていくのかと思っていたのですが、肝心の「実力や成果」を定義付けしたのは年功序列や終身雇用の恩恵を受けている世代でした。果たしてこの人たちに、自分たちが排除されるような成果主義制度が作り出せるのでしょうか? 結果として、企業を救済する特効薬のはずが毒薬になってしまったのです。
自分の成果を横取りされては困ると上司が部下に仕事を教えなくなり、気に入らない部下の評価は不当に低くしたりして、日本企業の財産でもあったチームワークが崩壊してしまいました。
成果主義はそれまで仕事ができなくても威張り散らしていたベテラン社員たちにとっては脅威です。結局、年功序列や終身雇用が残った成果主義になってしまい、社会主義的な体質は変わらないままでした。純粋な成果主義を諦めたのは、会社が50代以上の高度経済成長期やバブル期に身を粉にして働いてきた世代を切り捨てないための、一種の救済措置のようなものかもしれません。
それ以降、日本の企業はこれといった解決策を見いだせずに、ずっと迷走しているように感じます。年功序列、終身雇用、定年制度は時代にそぐわなくなっているのに、抜本的な改革ができている企業は少ないのではないでしょうか。
年功序列や終身雇用があっという間になくなった中国
中国では今から40年前に改革開放政策が打ち出され、市場経済へ移行していきました。今でも大企業は国有企業が多いのですが、年間で600万社以上の企業が設立されていて、中小レベルの民間企業も活発です。私は数ヵ月ごとに仕事の関係で中国に帰っているのですが、行くたびに変化があって驚いています。
まず、年功序列や終身雇用があっという間になくなったこと。20代や30代でも優秀であれば短期間で出世できますし、30代後半で社長になるのも珍しくありません。一方で、女性も男性も関係なく、能力だけが評価の対象になるので、仕事ができなければすぐにクビになります。
私がM&Aの交渉をするために中国の企業を訪れたとき、テーブルの向こう側に座っているのはみんな女性だったりします。主要幹部から若手社員までみな20~40代の女性で、臆することなく自分たちの意見を主張してきます。
私の両隣に座っている日本の50代以上の男性たちはすっかり気圧されてしまって、「交渉は小野さんに任せるよ」と逃げ腰になっていたぐらいです。
日本の企業が「変わりたくても変われない」理由
日本は戦後の焼け野原から奇跡の経済大国を築き上げました。今の中国も同じです。何事もゼロの状態から50、60の状態まで築き上げるのは勢いで行けます。しかし、50、60からさらに上を目指すのは難しくなります。中国はゼロの状態だったから、50、60の状態まで一気に行けたのでしょう。
日本は70、80まで到達しても、そこから先の成長が難しくなって、今は好調時と不調時のギャップ、低成長のジレンマにあえいでいる状態だと思います。
高度経済成長期からバブル期が終わるまでの約40年間に得た成功体験を簡単には忘れられず、なおかつバブル崩壊のような大失敗を繰り返したくないので保守的になり、変化できなくなっているのでしょう。
中国では「流水不腐、户枢不蠹」ということわざがあります。直訳すると流水は腐らず、戸の軸は虫に食われないという意味で、事物は常に変化・活動していれば腐りにくいという意味で使われます。
日本の企業は変化しないから水が流れない=退化しているのではないでしょうか。変えたくても組織が硬直化してしまって、変えられないのです。人材もそうです。「わが社の定着率は高い」と自慢する会社もありますが、定着率が高いのは良いこととは限りません。
優秀な人材がずっととどまってくれるのなら、その企業は発展を続けられるでしょう。 しかし、日本の若者でも、優秀な人材はすでに日本の企業を見限って外資系企業に転職しています。仕事ができない社員をやめさせたくて早期退職制度を実施しても、優秀な社員から抜けていってしまうという話もよく聞きます。結局、よどんだ水に残るのはその水に合った人間だけなのです。
さらに、今日本には世界の熾烈な競争の波が来ています。海外のエリートに選ばれる企業になれなければ、生き残っていけなくなる時代はそう遠くありません。
例えば、経団連は日本と韓国にしかない新卒一括採用をなくそうと動いています。これは、海外の優秀な学生を雇うためには、4月に一斉に入社するという制度が邪魔になってきたからでしょう。海外の学校は5月か6月に卒業するところが多いので、次の4月まで待っていられないというわけです。大学側は新卒一括採用ルールをなくすのを拒んでいますが、いずれルールをなくすしかなくなるのだろうと思います。
日本の企業はよどんだ水を流す時機に来ているといえます。
小野 りつ子
インダストロン株式会社
コンサルタント