「聞いてない」がもたらした相続トラブル
『“偏った”生前贈与をした結果、兄弟仲が険悪に』
◆トラブルの経緯
母が死亡した。享年78歳。相続人は長女、長男、二男の3人。母の財産は自宅と金融資産であった。遺言書はない[図表1]。
長男が中心となって相続手続きを進めていたところ、直近5年間、預金残高が急激に減少していることに気がついた。毎年春になると普通預金から現金220万円が引き出されており、その総額は1,100万円にのぼる。しかし、母がそのお金を何かに使用した形跡は見られない。
そこで、それぞれに何か思い当たる節はないか聞いたところ、長女の子(孫)2人が毎年母から贈与を受けていた事実が判明した。
相続人3人で遺産分割を話し合った際、長男が「母が孫に行った贈与を含め、3世帯が均等になるように分けよう」と提案したところ、二男は「それが一番公平だ」と同意したものの、長女は「母が行った贈与は孫に対してであり、私は直接関係ない。遺産分割は、今ある財産を3等分すべきだ」と同意しなかった。
その後何度となく話合いの場が持たれたが、法的には長女の主張が正しく、これ以上争っても仕方がないと、長男も二男も孫への贈与を考慮しない3等分の遺産分割協議書に署名・押印した。しかし、相続手続きを通じ兄弟仲が険悪になり、あれほど仲が良かった長男・二男と長女の子(甥・姪)の関係もギクシャクし、親族関係が疎遠になってしまった。
◆どうすればよかったのか
長女が主張するように、相続人でない孫への生前贈与は「特別受益※1」にあたらないため、遺産分割協議を行う際に相続財産に含める必要はない。
※1 相続人が被相続人から生前に生計の資本として贈与を受けていたり、遺贈により財産をもらったり、特別の利益を得ている場合の利益のこと。財産の前渡しと考えるとわかりやすい。
別に、孫への贈与はやましいことではないので、母から長男および二男へ、孫へ贈与することを事前に伝えればよかった。その際、なぜ贈与する気持ちになったのか、その背景と効果も伝え、「長女からの依頼ではない」ことを2人にしっかり知ってもらうべきであった。
財産的に有利になる長女だけが贈与の事実を知っていると、何も知らない長男と二男は「長女の画策があったのではないか」と疑心暗鬼になり、争いの種になる。
【契約者=母、被保険者=母、受取人=長男と二男】の終身保険に加入しておく手もあった。長女の世帯には、遺産分割に関係のない孫への贈与資金が渡るのだから、長男と二男にも、遺産分割する必要のない生命保険金が渡るようしておく“痛み分け”的な考え方だ。ただし、保険金額をいくらに設定すればよいかは難しい。母が何年贈与できるか誰にもわからないからだ。
世帯ベースで考え、長男および二男にもそれぞれへ贈与する手もあった。その際、長女だけ孫2人へ220万円、長男と二男は110万円ずつでよいのか、金額の問題は残る。
母が遺言書を作成し、孫への贈与について、付言でその心情や背景について触れ、子どもたちに納得してもらえるような気持ちを遺しておく手もあっただろう。
「名義預金に該当するか?」がポイントに
◆解説
母は、TVや新聞で「相続税増税」のニュースを見るたびに「自分のところは大丈夫だろうか」と心配になっていた。
5年前に死亡した夫の財産はすべて自分が相続している。また、3人いる子のうち、孫がいるのは長女だけであることも気になっていた。長男は婚姻しているものの子はいないため、長男に財産を相続させても長男が死亡したら嫁に財産が渡ってしまう。
「妻は専業主婦として育児と家事に専念するもの」と叩きこまれ、自らもそう生きてきた母と、「女も社会に出てバリバリ働くべき」と考える嫁との間には考え方に大きな隔たりがあり、「後継ぎが欲しい」と願っていた母の希望も叶えられず、母と嫁は不仲であった。その嫁に、夫から相続した大事な財産を渡すわけにはいかない。
さらに、二男は独身である。自由気ままに生きている二男が、高齢になってから結婚する可能性もある。そうなると、自分が会ったことすらない女性に大事な財産が流れてしまう可能性もある。
取引銀行の担当者にそのことを相談したところ、「生前贈与すれば財産を減らせるので相続税対策になる。しかも、1人年間110万円までであれば贈与税はかからない。さらに、贈与は誰に対してでもできるので、孫(長女の子)に贈与すれば長男の嫁や二男に財産が行くことはない」と助言され、早速孫に贈与することにした。
孫へ贈与することを子どもたちに伝えるべきか悩んだが、長男も二男も長女の子を自分の子のように可愛がっており、入学祝や卒業祝い等、何かにつけて祝ってくれていたので、「可愛い甥・姪に対する贈与であれば、長男も二男も文句を言わないだろう」と考え、長男および二男には何も言わなかった。当時孫は未成年であったため、贈与手続きは長女を介して行った。
◆過去3年以内の贈与は相続財産に加算されるが…
長男が、相続手続きを進める中で気づいた急激な預金減少について税理士に相談したところ、「金額から察するに、毎年110万円ずつ誰か2人へ生前贈与したのではないだろうか」とのことであった。
そこで、二男に聞いたところ、「母から資金援助を受けたことは一切ない」と言う。もちろん自分もお金をもらったことなど皆無だ。長女に聞いたところ、「自分はもらっていない」と言うが、「自分は」の言い方にひっかかり、「何か隠していることがあるのではないか」と税理士に援護を求めた。
税理士より長女に対し、① 過去3年以内の贈与は相続財産に加算されること、② 名義が子や孫になっていてもそれが形式だけであれば「名義預金※2」として相続財産になること、③ 使途不明金があると税務調査で指摘を受けやすいこと等を説明したところ、毎年母から孫2人へ現金110万円ずつ贈与されていたことを告白したのだ。
※2 真の権利者とは別の名義(例えば、配偶者や子、孫等本人以外の名義)を借りて、または存在しない名義で預けている預貯金のこと。「他人・架空名義預金」「借名口座」「借名預金」ともいう。
遺産分割は、相続発生時にある財産だけでなく、生前にもらった財産を含めて話し合うのが原則である。この生前に前渡しされた財産のことを「特別受益」と言い、民法にその根拠がある[図表2]。民法第903条1項に「共同相続人中に」とあるように、特別受益は相続人への贈与等が対象であり、贈与等した当時推定相続人ではなかった人への贈与は特別受益に該当しない。
本事例は、母から孫への贈与であり、孫は相続人ではないため、孫がもらった財産は特別受益に該当しない。たとえ贈与手続きを長女が行ったとしても、長女は親権者として未成年である孫のために事務手続きを行ったに過ぎず、あくまで財産をもらったのは孫である。つまり、孫への贈与は母の遺産分割には関係ない。
◆「名義預金」に該当すれば遺産分割に関係するが…
長男は、贈与手続きを担ったのが長女であることに着目し、孫名義を借りた母の預金、もしくは長女の預金、いわゆる“名義預金”ではないかと作戦を変更した。名義預金であれば、母の遺産分割に関係してくる可能性があるからだ。長男は、① 贈与契約書がない、② 孫の口座を開設した当時の印鑑届は長女の筆跡である、③ 孫はもらったお金を一度も使用していない、④ 贈与税の申告書が存在しない、と主張した。
残念ながら長男の主張は通らなかった。① 贈与契約書を作成しなければいけないという法律はなく、② 孫は未成年のため親権者である長女が事務手続きを担うため、孫の筆跡が出てこなくても何等問題なく、③ もらったお金を使用しなければいけないというルールもなく、④ 贈与金額が年間110万円以内であれば贈与税が発生しないので贈与税申告書がなくて当然、だからだ。
贈与行為そのものが否定されれば名義預金としてその財産が母の遺産に加えられ相続税を計算することになるが、その場合でも、名義が生前孫になっていれば、母に「孫へあげたい」という遺贈の意思があったとみなされ、孫がもらった財産に対し2割増しの相続税を払うだけであり、そのことが相続人3人の相続割合に影響を与えることはない。
「どうすれば良かったのか」の項で、長男および二男を受取人と指定した終身保険に加入する案と、長男および二男に対しても贈与する案を挙げたが、長男の妻(嫁)や将来婚姻するかもしれない二男の妻(嫁)等直系血族以外の人間へ財産を渡したくないと思っている母の理解を得るのは難しく、両案とも実現不可能であったと思われる。
本事例における長女の主張は(法的には)正しいが、長男の提案(孫への贈与を含めて3等分)も、法的根拠はないものの一考に値する提案であり、「法的根拠がないからダメ」と一刀両断するのもどうかと思う。法律が必ずしも人に優しい、関係する人全員が納得する拠り所であるわけではないことを痛感する事例である。
本件は、良かれと思ってした孫への贈与を、一部の相続人へ伝えていなかったことで生じた争族である。相続対策には“気配り”も重要である。
【本事例から学ぶ教訓】
① 相続において、「~であろう」「~のはず」の勝手な思い込みは危険
② 特に、相続人ではない孫へ生前贈与を行う際は注意が必要
③ 相続対策には“気配り”も重要
吉澤 諭
株式会社吉澤相続事務所 代表取締役