パリ協定で上がった再生可能エネルギーのハードル
2017年6月のトランプ大統領のパリ協定離脱表明から2年が経過したが、参加国では、具体化に向けた議論が進んでいる。2018年12月にポーランドのカトヴィツェで、パリ協定の運用の具体化を図ることを目的とした第24回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP24)が開催され、温室効果ガスの排出量の計測方法をはじめとする、先進国、新興国・途上国共通のルールが合意された。
2019年5月に京都市で開かれた国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)総会では、具体的な排出量の計算方法が定められ、第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)で正式に導入される。
パリ協定は、先進国、新興国・途上国の隔てなく、すべての参加国に努力義務を課している。京都議定書のようなトップダウンではなく、各国が自主的に目標を立て温室効果ガス削減に向けた活動を進める。目標達成の義務がないことで、むしろ欧州連合(EU)各国の間でいかに高い目標を掲げるかの競争が起こっている。
2018年1月に、ドイツの与党キリスト教民主・社会同盟(CDU)は、2030年の再生可能エネルギーの導入目標値を65%まで引き上げることを決定した。イギリスは、2018年の再生可能エネルギーの割合が33%に達し、2019年3月にエネルギー・クリーン成長担当大臣のクレア・ペリー氏は、2030年までに洋上風力発電の導入量を全発電量の30%以上に引き上げるとの意欲的な目標を示した。
イギリスは、ドイツを上回る洋上風力発電の実績を持っている。水深の浅い海岸線近くから沖合に向かって洋上風力発電のエリアを拡大し、3000万kWまで発電容量を拡大する構えである。デンマーク議会も2018年6月には、2030年に再生可能エネルギー比率を50%とする目標値を合意しており、EU全体でも2030年に再生可能エネルギー比率の目標を27%から32%に引き上げることが決議されている(図表1)。
先進国以外でもインドは、2030年の再生可能エネルギー比率の目標を40%に設定した。中心となる太陽光発電については、現状の2000万kWから1億kWに引き上げ、2022年までに1億7500万kWの再生可能エネルギーを導入する目標を掲げた。
2018年6月、シン電力大臣は、既に水力発電を含む再生可能エネルギーが30%を超えていることを理由に、2030年の目標を40%から55%に上げる方針を示した。グジャラート州知事時代に太陽光発電産業の育成と安定した電力供給を実現したモディ首相は、とりわけ太陽光発電の普及に熱心で、2014年の首相就任後国全体で太陽光発電を拡大している。
インドは、中国同様、石炭火力発電への依存度が高く深刻な微小粒子状物質(PM2.5)の問題を抱えているが、2017年5月に大規模太陽光発電のコストが1kWhあたり2.5ルピー(約4円)を割り込むまで低下したことで太陽光発電への傾斜を強めている。巨大な自国市場を通じて中国製の太陽光発電に対抗する国内メーカーを育成するという狙いもある。
経済格差が依然として大きな社会問題であるインドでは、幅広い層の支持につながる社会的なインフラ整備は、モディ首相の主要課題でもある。200億ドル(約2兆2000億円)を投じて家庭用トイレを普及するクリーンインディア政策により、就任以来8000万家庭にトイレを設置した勢いで上下水道、電力などの整備を進めていく。
2015年には、パリ協定の合意を受け、当時のフランスのオランド首相と途上国の太陽光発電普及を目指すソーラー同盟を結成し、国内では、固定価格買取制度(FIT)、発電施設の税額控除の制度を施行した。
パキスタンは、2030年の再生可能エネルギーの目標比率を60%(水力発電30%を含む)に引き上げる方針だ。2018年8月にカーン政権が誕生し、パキスタン正義運動(PTI)が政権を担うと、政治腐敗や権力争いに嫌気が差した国民の信頼を取り戻し、電力不足に対処するため、自家発電を含む太陽光発電の大幅増加策を打ち出した。
パキスタンは、液化天然ガス(LNG)基地と天然ガス火力発電所の建設を進めているが、4~5%の経済成長が5年間継続したことで慢性的な電力不足に陥り、再生可能エネルギーの拡大に舵を切った。月間1~2日しか雨が降らないパキスタンでは、昼間の安定電源として太陽光発電が期待されている。
2019年1月に、サウジアラビア・エネルギー・産業・鉱物資源省のハーリド・アル・ファーリハ大臣は、2030年までに6000万kWの再生可能エネルギーを導入すると発表した。2018年3月には、ソフトバンクの孫正義社長とムハンマド・ビン・サルマン皇太子が組成したビジョンファンドを通じて2000億ドル(約22兆円)を2億kWの太陽光発電に投資すると発表したのち、非現実的との非難を浴び、現実路線に引き戻された経緯がある。
一方で、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、「サウジアラビア・ビジョン2030」という長期戦略を公表し、脱石油、産業構造の転換を強力に進めている。太陽光発電産業の育成が産業構造の転換で重要な政策として位置づけられているのは間違いない。2018年6月にアラブ首長国連邦(UAE)は、サウジアラビアに対抗して約1.5兆円の経済対策と脱石油の方針を掲げた。再生可能エネルギーの目標比率を2030年に25%、2050年に75%とし、中東の化石燃料依存脱却と再生可能エネルギー導入拡大のリーダーになると宣言している。
大平原で成功した「再生可能エネルギー」
欧州で風力発電の導入が進んだひとつの理由は、偏西風地帯に位置する山地の少ない強風地帯が広がるからである。大西洋からスコットランド、イングランド、北海からデンマークのユトランド半島、ドイツ北部のシュレスビッヒ・ホルスタイン州やメクレンブルグ・フォアポンメルン州、バルト海、そしてポーランド、リトアニアなど大陸内へと吹き抜ける強い偏西風の通り道があるのだ。
再生可能エネルギーに本格的に取り組み始めた当初、ドイツは、設備設置が容易な太陽光発電にも注力した。東西ドイツ統合後の東ドイツの産業政策の意味もあり、旧東ドイツ地域のQセルズなどの太陽光発電メーカーを育成したが、自然環境に恵まれた風力発電の優位性が次第に明らかとなった。
ブレードの回転面積で発電量が決まる風力発電は大型化の一途をたどり、今では地上200メートル、1万kWを超える大型風力発電も登場しつつある。既にスコットランドのモーレイ洋上風力発電所では、9500kWの風力発電100基を建設するプロジェクトが進むなど、原発規模の風力発電所が洋上に建設され、デンマークやドイツの一部の洋上は風力発電で埋め尽くされている(図表2)。
風力発電の拡大は留まるところを知らない。ドイツをはじめとするEUは、風力発電所を化石燃料の大型発電所に代わる電源として、強風域の風の道に敷き詰めようとしている。
果てしなく平地が広がり、強風を遮る樹木も生えないアメリカの荒野も風力発電の適地である。ロッキー山脈の西側のコロラド州から中西部のサウスダコタ州、ネブラスカ州、カンザス州、ミネソタ州、アイオワ州、ミズーリ州の平原には、常時強風が吹く広大な風力発電適地がある。
アメリカでは1980年代に、環境意識の高い住民が多いカリフォルニア州サクラメントの丘陵地帯でいち早く大規模風力発電所が開発された。しかし、強風域でないため、発電コストが高く本格的な普及にはつながらなかった。
2000年代に入ってから、コロラド州、中西部の各州、風況はやや劣るが荒野の広がるテキサス州で、風力発電所の建設に合わせて送電線が整備され、風力発電の大型化が進むと、発電コストが一気に低下した。
このように偏西風地帯を有する欧州やアメリカでは、東日本大震災後に日本で大規模再生可能エネルギー発電所に注目が集まる前に、強風の吹き抜ける大平原に大型風力発電を建設し、送電線を整備するという事業モデルが確立していた。
パリ協定を機に、再生可能エネルギーの投資の中心は先進国から途上国に移る。多くの途上国は、欧米各国のような強風域はないものの、南北回帰線の間に位置し、日射量が多い。例えば、インドでは、都市近郊の空き地、中東の砂漠などに太陽光発電の適地が広がる。日射量の多いラジャスタン州、グジャラート州、マハラシュトラ州などで大規模太陽光発電所の導入が進んでいたが、モディ首相の就任後その動きが全土に広がった(図表3)。
カルナータカ州のパヴァガダ太陽光発電所、アーンドラ・プラデシュ州のクルヌール太陽光発電所、タミル・ナードゥ州のクムティ太陽光発電所、ラジャスタン州のバドラ太陽光発電所などでは、50万kWを超える規模の発電所が建設されている。
パキスタンでは、2015年にチョリスタン砂漠で10万kWの太陽光発電所が建設された。中国の総額460億ドル(約5兆500億円)の投資による「中国・パキスタン経済回廊」計画に基づき40平方キロの広大な土地に発電所が建設された。
脱石油依存を目指すサウジアラビアやUAEなどは、広大な砂漠の土地に数十万kW規模の太陽光発電所を建設し、都市部の電力需要を賄い始めている。強い日射と長い日照時間で発電コストはkWhあたり3~5円まで低下したため、新たな送電線の整備を必要としない地域では、太陽光発電の建設ラッシュとなっている。
サウジアラビアでは、2019年に60万kWのアルファイサリア・プロジェクト、30万kWのラービグ・プロジェクト、ジェッダ・プロジェクトを含む合計200万kW超の太陽光発電プロジェクトが計画されている。
UAEのドバイでは、再生可能エネルギー開発事業者であるマスダール社がドバイ首長の名を冠した100万kW級のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム太陽光発電所の建設を進めている(図表4)。ドバイから南方約50キロにある214平方キロ砂漠の真ん中に建設され、フランスEDFなどの参加も得て総額1.5兆円が投資される。
このように可能性が高まる再生可能エネルギー事業だが、世界で目指されているのは、火力や原子力を代替する巨大再生可能エネルギー発電所だ。その技術的な背景は風力発電設備の巨大化と50年前に確立したシリコンベースの技術だ。
モデルの見えない日本の再生可能エネルギー
挑戦的ともいえる欧州、一部の新興国の再生可能エネルギー導入に対して、日本の政策は停滞している。風力発電については強風地域が稚内から留萌にかけての北海道北部、青森県の津軽半島と下北半島、秋田県の海岸沿いなど一部の地域に偏っているうえ、東北の海岸線沿いは、広大な平地が広がる訳ではなく、大規模風力発電所を建設するのは難しい。
秋田県では、風車1000本の建設を目指す「風の王国プロジェクト」の中で、すべての海岸線に一定の間隔で風力発電を建設するという挑戦的な計画が立てられている(図表5)。ただし、挑戦的なプロジェクトもここまでで、欧州のような百万kWレベルの風力発電所が次々に建設することは考えられない。
2011年から福島県沖などで洋上風力発電の実証プロジェクトが進められている。2019年5月には丸紅、日立造船、九州電力、みらいエナジーが福岡県北九州市の響灘で新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の支援の下、高さ70メートル、出力3000kWの浮体式洋上風力発電設備1基の運用を開始した。九州電力は、ドイツ電力大手エーオンと共同で響灘での洋上風力発電の事業化を検討している。
しかし、日本近海は水深が深く、欧州の遠浅の海での洋上風力の建設とは事業環境がまったく異なる。また、浮体式風力発電は、FITの買取価格が36円/kWhと設定されているように、天然ガス火力のコストに近づくには、3分の2ものコストを削減しなければならない。さらに、日本の沿岸で漁業権に絡まない場所は殆どないため調整負担も大きい。欧州で開発されているような大型でコスト競争力の高い風力発電所に建設できるような立地は皆無といってもよい。
太陽光発電についても、日照時間が年2000時間強の日本では、同3500時間を超えるインド、中東のような発電コストは実現できない。また、太陽光発電に適した九州、甲信越などは、平地が限られ広大な土地の確保は容易でない。
2018年に岡山県瀬戸内市錦海塩田跡地に敷地面積5キロ平方メートル、発電容量23.5万kWという日本最大の瀬戸内Kirei太陽光発電所が運転を開始した。かつて東洋一の規模を誇った天日採塩法の巨大な塩田跡地が開発会社の倒産などで利用されずにいたことで実現した事業であり、同じ規模の発電所立地は滅多に出てこない。これだけの好立地でも、公共事業の残土で整地したり、自営線を地下埋設して野鳥など自然との共生を図ったり苦労が多かったとされる。
日照時間が長い平地を確保できるのは、北関東など限られた地域になるが、農地の転用を伴うことが多い。地形、規模、農地転用の負担がないのは北海道・道東地区などだが、日照量が十分ではない。さらに、どこに行っても労務費が高く、都心の建物と同様の耐震基準が課される。砂漠のど真ん中に簡易な施工で太陽光発電所が建設できる中東諸国とは雲泥の差だ。
このように、世界の再生可能エネルギー事業で主流になっている超大型の風力発電所や太陽光発電所を低コストで建設できる可能性が殆どないのが日本の実情だ。日本は、化石燃料だけでなく再生可能エネルギーの資源も十分とはいえないのである。
株式会社日本総合研究所
〈執筆者〉
井熊 均
日本総合研究所 創発戦略センター 専務執行役員
瀧口 信一郎
日本総合研究所 創発戦略センター シニアスペシャリスト
木通 秀樹
日本総合研究所 創発戦略センター シニアスペシャリスト